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近現代史

巨額の内閣機密費を握った「大政翼賛会」 その使い道のナゾに迫る

カネはどこからどこへ流れたのか

受け渡しの手順

日米開戦直前の第二次・第三次近衛内閣の書記官長をつとめた富田健治に対するGHQの尋問が2日目を迎えている。

尋問の焦点は、陸海軍が近衛内閣に秘密裡に上納していた年間総額1000万円の機密費だ。今の80億~90億円に相当する金はいったい何に使われたのか。GHQのW・E・エドワーズ法務官はこう切り出した。

「昨日は予算で内閣に割り当てられた機密費10万円について話してもらったが、今日は陸海軍からどうやって機密費をもらったか、その手順を聞きたい」

富田は「そのつど、しかるべき額を陸軍省の次官から受け取った。こっちからもらいに行ったこともあるし、陸軍次官が副官を官邸に差し向けて金を届けてくれたこともある。手順は海軍省も同じで、受け渡しはつねに現金だった」と答えた。

エドワーズ「まず訊ねるが、当時の陸軍次官は誰だった?」

富田「阿南(惟幾)。自決した人だ。終戦時には陸相だった」

エドワーズ「当時の陸軍省の軍務局長は(東京裁判の)被告の武藤(章)だったと思うが……」

富田「そう。軍務局長は武藤だったが、彼は機密費とは何の関係もない。陸軍次官だけが機密費を直接扱っていた」

エドワーズ「そうかな。私は軍務局長が機密費の扱いに深くかかわったと思ってるんだが……」

ここに登場する武藤章は日本の運命を決めた軍人の一人である。1937年7月、盧溝橋事件が起きた際、事変不拡大の方針をとる参謀本部作戦部長の石原莞爾に反対し、中国に「一撃を加えるべし!」と唱えて拡大派の急先鋒となったのが、作戦課長の武藤だった。

結局、拡大派が陸軍の多数を占め、石原は左遷される。やがて武藤は軍務局長になり、陸軍だけでなく政界の動向も左右する力を持つ。1940年、ナチスを模倣した一国一党体制(=近衛新体制)運動を強力に推進したのも、この武藤である。

 
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