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宮沢りえ『サンタフェ』の衝撃を、いま改めて語り合おう
篠山紀信×中森明夫×タナカノリユキ

それは「事件」だった。朝、新聞を開いた瞬間、誰もが目を疑った。あの宮沢りえが脱いだ!? 日本中を虜にした18歳の「聖女」の神々しい裸身が今よみがえる。

 
『Santa Fe』/ '91年に朝日出版社から発売された宮沢りえ(当時18歳)のヘアヌード写真集。撮影は篠山紀信。新調した8×10(エイトバイテン)の大判カメラを使用した。「ヘアヌード解禁」への道筋を作ったパイオニア的作品。発行部数155万部は今も写真集としては世界記録
篠山紀信(しのやま・きしん)
40年東京都生まれ。日本を代表する写真家として山口百恵、樋口可南子、宮沢りえなど、その時代を象徴する人物を撮り続けている
中森明夫(なかもり・あきお)
60年三重県生まれ。コラムニスト。「オタク」という言葉の生みの親でありアイドルに造詣が深い。著書に『寂しさの力』などがある
タナカノリユキ(たなか・のりゆき)
59年東京都生まれ。アートディレクター。CM、音楽、写真など多岐に活躍。沢尻エリカの写真集『100+1 ERIKAS』も手がけた

りえママが出した「条件」

中森 宮沢りえのヌード写真集『Santa Fe』(サンタフェ)が世に出て('91年出版)今年の11月で25年が過ぎたわけですが、発行部数155万部は、写真集として今も破られない世界記録です。

篠山 当時りえはまだ18歳。いまではすっかりいい女優になってしまったけど、あの頃の彼女は初々しくて、瑞々しい存在だった。

タナカ もちろん、最初から、りえちゃんも脱ぐことを了解していたんですよね。

篠山 実はそれが謎なんだよ。最近彼女に聞いたんだけど「私は(脱ぐことを)知らなかった」と言うんだ。

中森 えっ、本当ですか!

タナカ じゃあ、初めてヌードになるときは躊躇する感じもあった?

篠山 もし仮に彼女が「嫌だ」と言えば撮らないつもりだった。ところが「じゃあ脱いでみようか」と言うと、こっちが拍子抜けするほどあっさり脱いでくれた。彼女は一度覚悟を決めたら、最後までやり遂げるタイプ。度胸のある子だからね。

タナカ 中身を見る前に「買いたい」と思わせた写真集は、後にも先にも『サンタフェ』しかない。

中森 なにしろ当時の宮沢りえは、超トップアイドルだったからね。今のAKBももちろんすごいけど、あくまでグループ。それに比べて彼女は「ピン」。そんな子がヌードになったわけだから、その衝撃はすごかった。

形の整った若々しいバストにツンと上を向いた乳首、ピンクの乳輪、しかもヘアまで写っている。夢でも見ているんじゃないかと思いました。

タナカ そもそも、どういう経緯で宮沢りえのヌードを撮ることになったんですか。

篠山 あの年の4月に勅使河原宏監督の『豪姫』の撮影現場にりえを撮りに行ったとき、りえママ(マネジャーでもあった)と立ち話になって、「りえちゃんも18歳になったし、きれいなうちにヌードでも撮らなきゃね」と言ったわけ。僕としてはお世辞というか挨拶のようなもので、断られることも承知の上だった。

ところがりえママが手帳を開いて「可能性があるとしたら連休明けかしら」と言い出した。まさか撮れるなんて思っていないから驚いたよ。

中森 '14年にりえママは亡くなりますが、二人は「一卵性母娘」と呼ばれるほど深くつながっていました。

篠山 そうだね。それから極秘にプロジェクトを進めたんだけど、りえママからある条件が出た。「もしも情報が漏れたらそれでこの話は終わりにする」と。発売元を朝日出版社にしたのも、大きな出版社だと必ず漏れると思ったからなんだ。

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