『この世界の片隅に』は優れた“妖怪”映画だ!民俗学者はこう観た
日本人が生きてきた「残酷な現実」
畑中 章宏 プロフィール

原作に活かされていた「考現学」

映画化によって風景に奥行がもたらされ、リアリティが獲得された。その一方で、原作の大きな魅力である、考現学的な図や説明の多くが省略されている。

財団法人日本少国民文化協会制定の「愛国イロハカルタ」、避難のマニュアルや防空用機材の一覧、悩みを綴った投書に対する時局的な回答……。欄外に記された「注」も原作者が、現代の読者に細かに配慮したものであろう。こうした戦争の日常をより深く知るために、原作も必ず手に取って欲しいと思う。

周作の姉の径子が、娘の晴美に必要なもの、衣料切符で買ってあげたいものを空想する場面。晴美の周りを、ランドセルや海水着、防空頭巾などが取り囲む。この構図は今和次郎の考現学が明らかに意識されている。

今和次郎は、柳田国男の薫陶を受けて民家の研究をしていたが、関東大震災を境に、考現学による調査を開始する。よく知られているのは、復興著しい東京銀座を歩き、男女の着衣を、頭から足先まで調査した記録である。

銀座調査で評判を得た今和次郎一行は、続いて、本所深川の“貧民窟”の調査に乗り出す。その際に描かれたのが、値段付きの「男の欲しいもの」と「女に入用な品物」であった。

「女に入用な品物」では、下着姿の女性の周りを、タンスやたらい、割烹着や日用雑貨が取り巻いている。少ない収入の中から、彼女たちが何を必要とし、やりくりしようとしているかが、一枚の絵によって説明されているのである。「晴美に入用な品物」一覧は、のちの悲劇を、よりいっそう、残酷で切ないものにしている。

すずは少女時代に、広島で人さらいからまぬがれたあと、このようにつぶやいていた。「わたしは よく人から ぼうっと していると 言われる ので/あの日の事も きっと 昼間の夢だと 思うのだ」と。

『この世界の片隅に』は、夢や幻想世界と現実の境界が曖昧になる、“民話”的な物語だと私は見る。幸福なときも不幸なときも、「夢かも知れない」「悪夢のようだ」とつぶやきながら、日本人は、残酷な現実をずっと生きてきたのである。

畑中章宏(はたなか・あきひろ)
大阪府大阪市生まれ。作家、民俗学者。著書に『災害と妖怪』『津波と観音』 (以上、亜紀書房)、『柳田国男と今和次郎』『『日本残酷物語』を読む』(以上、平凡社新書)、『先祖と日本人』(日本評論社)、『』(晶文社)などがある。「WIRED.jp」で「21世紀の民俗学」を連載中。