『この世界の片隅に』は優れた“妖怪”映画だ!民俗学者はこう観た
日本人が生きてきた「残酷な現実」
畑中 章宏 プロフィール

広島は「死んだ人のゆくところ」

妖怪や物の怪(もののけ)のような怪しい存在や、不可思議な出来事も、『この世界の片隅に』の重要なファクターである。

すずと周作は広島市中心で、「人さらい」によってめぐり会う。

江波から広島の中島本町の料理屋に、海苔を届けに行ったすずは、「ばけもん」が背負う籠の中に投げ込まれてしまう。そこにいた先客が、のちに夫となる周作だった。

2人はばけもんの晩御飯になるところだったが、海苔を使ったすずの知恵で、籠から逃げ出すことができる。気を失ったばけもんに周作がミルクキャラメルを握らせたあと、2人は橋の上で別れる。このばけもんは原作でも映画でも、“鬼”として、また最後に登場することになる。

山口県周防大島出身で『忘れられた日本人』などの著作で知られる民俗学者の宮本常一は、広島を流れる川についてこんな話を綴っている(『私の日本地図4 瀬戸内Ⅰ 広島湾付近』)。

子どものころ弟が乱暴をしたり、泣き喚いたりすると、「おまえは広島の橋の下でたらいにのせられて流れていたのを拾った子だから、かえしにいくぞ」と叔母や祖母がたしなめた。弟だけではなく、親兄弟の手に負えない粗暴な子どもは、みんなそのように脅かされたのだという。

「そこで私の子供心には、広島に大きな川があって、その川の川上の方から、子供をのせたたらいがつぎつぎに流されて来、川口付近にいる船が、その子を拾いあげてはかえってゆく。橋の下の船はほうぼうからあつまったもので、それが子供をひろうと、またほうぽうへつれてゆく。/どの船にも生れたばかりの子供がつまれている情景が心の底にやきついていた。」

宮本また、広島というところは、「死んだ人のゆくところでもあったようだ」という。人が死ぬと「あの爺さんも広島へたばこを買いにいったげな」と噂するものがあった。ある人が、ある日ふといなくなると、このように表現したのである。宮本の故郷では、広島という土地は「一つの幻想の世界だった」というのである。

草津にあるすずの祖母、叔父伯母の家には「ザシキワラシ(座敷童子)」がいた。

江波に住むすずたち兄妹が、お盆のお墓参りに、スイカを手土産に草津を訪ねた。三兄妹が昼寝をしていると、屋根裏から、天井板を一枚はずして少女が降りてくる。食べ残しのスイカを食べる少女に、すずは貰ってきけあげようとする。

しかし戻ってくると少女はいない。すずは寝ぼけていたのだとからかわれるが、兄はその少女のことを、家にいると縁起がいいと言われる「ザシキワラシ」ではないかと言う。

すずが嫁いだ呉の北條家にはザシキワラシはいなかったようだ。しかしすずは天井を仰ぐたび、ザシキワラシを探すように、あるいは呼び寄せるように手指を動かす。その天井板もやがて、戦局の悪化から、「焼夷弾が引っ掛からないように」と取り外されてしまう。

しかしザシキワラシはすずのことを、遊郭から見守っていた。そして、すずが海苔を納めに行った料理屋は「ふたば」であり、リンが勤める遊郭は「二葉館」だった。