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不正・事件・犯罪
『怒り』『悪人』『パレード』…吉田修一が犯罪でなく人間を描く理由
ノンフィクションとの違いは?

現在公開中の映画『怒り』をはじめ『悪人』『パレード』などのヒット作を世に生み出してきた吉田修一氏が、実際に起こった事件をモデルとした小説『犯罪小説集』を上梓した。本インタビューでは5つの中編から成るこの作品の魅力をご本人に語ってもらった。

 

描いたのは犯罪ではなく人

―本書は、犯罪をテーマにした5つの物語からなる中編集です。物語はすべて実際に起こった事件をモデルにしています。そのタイトルはズバリ『犯罪小説集』。実にストレートです。

「犯罪を題材にした中編集を作りたい」という話を担当編集者にしたら、「じゃあ犯罪小説集ですね」と言われ、それがそのままタイトルになりました(笑)。

ただし、『犯罪小説集』とは言いつつ、私が書きたかったのは犯罪そのものではありません。描きたかったのは、そこにいるひと、人間です。そのため、モデルとなった事件も、「この人はどういう人間なんだろう」と強く引っかかったものを選んだ気がします。

といっても、犯人の動機については重きを置いていません。「動機は何なの?」と訊かれたら、たぶん「そこにその人がいるから」としか答えられない。人がいればそこに罪がある。人間が生きていれば、そこに何かが起こるということを書きたかったのだと思います。

―たとえば、「青田Y字路」では、村社会の息苦しさみたいなものが描かれています。5編それぞれに作品のテーマを立てられたのですか。

いいえ、犯罪というざっくりとした共通のテーマはありましたが、それぞれの作品に特別なテーマはありません。この作品に限らず、私は小説を書くとき、何かをテーマにしようとはあまり意識しません。物語の世界に自分が飛び込んでそこで生きる一人になり、見えてくるものを書いています。

「青田Y字路」という物語の中に入り込んで生きてみると、やっぱり気味の悪い集団心理みたいなものが伝わってくる。それをそのまま素直に書きました。

書き始めるときにストーリーをどうしようということも考えません。今回はモデルになる事件があったので、最初から犯人が決まっていたわけですが、「青田Y字路」は、「この人が犯人じゃなければいいのに。どうやったら犯人じゃなくなるのかな」と思いながら、ずっと書いていました。

―様々な視点から物語が描かれていることも本作の特徴です。しかも、同じ作品の中でも、次々と視点が変わっていきます。

「万屋善次郎」では犬になり切って書きました。主人公の善次郎は、自分の思っていることをうまく表現できない人間だから、犬の視点がよく合っていました。最初は犬の視点で書いて、途中から主語だけ書き換えました。

短編、中編は、ちょっとした冒険がしやすい。本作では、以前からやりたかったけれど長編ではできなかったことに挑戦しました。それが成功しているかどうかはわかりませんが、自分としてはやってみて面白かった。読み返してみても、どこか気持ち悪い感じがあるので、狙いは外れていないと思います。

ノンフィクションとの違いは?

―保険金目当てに元愛人を殺す女「ゆう子」(「曼珠姫午睡」)、バカラ賭博で会社の金に手をつけ追い詰められていく「永尾」(「百家楽餓鬼」)など、登場人物がとてもリアルに描かれており、実在する人物のような錯覚にとらわれます。

私の中で、登場人物が「生まれる」瞬間がはっきりあります。ゆう子の場合、中学生の彼女が体育の授業でのテニスの試合で、「ドタドタドタ、ブン」と不格好ながら来た球を打ち返し続けるシーンを書いた瞬間に、その人格が生まれました。

「白球白蛇伝」の主人公は、実家が古いアパートで、その1階に3部屋を借りて父親、主人公、兄2人が別々に住んでいます。そういう間取りで育ったということを決めた瞬間に、「この人が物語中で何を言っても説得力がある」と感じました。

今回の作品はモデルとなった事件があるので、もしかすると、そこからちょっと離れられた瞬間なのかもしれません。