地震・原発・災害 司法

原発推進勢力が画策する、原発訴訟「完全封じ込め」のウルトラC!?

元裁判官が明かす悲観的な未来
瀬木 比呂志 プロフィール

――いや、驚きました。そんなウルトラCがありうるとは。

瀬木 本作は、フィクションですが、日本の原発をめぐる状況とその問題点については要点を絞り、また、原発訴訟についてはかなり高度なことまで噛み砕いて、いずれについても、小説という枠組みを壊さないよう、そのテーマときちんと重なり合うような形で、正確に書いています。詳しくは、この小説を読んでいただければ、非常によくわかるはずです。

原子力ムラの詭弁を見抜けるか

――専門性の高い原発訴訟は、ある程度技術に詳しい裁判官が担当すべきだという考え方についていえば、そうかもしれないと思う部分がないではないのですが……。そもそも、技術に暗い専門家では、「原子力ムラ」の住人たちの詭弁や高度なカモフラージュを見抜けないのではないでしょうか?

瀬木 そういう意見もあります。

実は、より専門知識の高い裁判官にさせたほうがいいという意見は、原発に批判的な学者からも、出ているのです。これは、逆に、「そのほうがより厳しく原発の危険性を指摘できるから」という考え方です(たとえば、新藤宗幸『司法よ! おまえにも罪がある――原発訴訟と官僚裁判官』〔講談社、2012年〕)。

新藤さんのお考えについては、民事訴訟法学者としては、一定程度理解できる部分もあるのです。

しかし、日本の裁判と裁判所、また、これに関わる権力の過去の動きをよく知っている元裁判官としてみると、先のような「制度改悪」の際に、新藤さんの、その動機からすればまっとうな意見が、皮相な形で引用されてしまう可能性も、否定できないと感じられるのです。そのようなことがないよう、ここであえて言及しておきたいと思います。

再び欧米、ことにアメリカの裁判についての一般論ですが、高度の理解力のある普通の人間である裁判官、国民の代理人としての裁判官の、中立的、客観的な判断の積み重ねが、社会を正しい方向に導く、というものです。

全部行政と政治にお任せの結果が、日本の停滞、また、「洗練されてはいるけれどもう一つ自由主義や民主主義の成熟していない国」という海外からの評価を招き、日本の政治家の発言は国際社会でも本来得られるべき重みをもって迎えられていない、軽んじられがちである、そういうことも、よくお考えいただきたいのです。

 

日本の世論、ことにそれを先導するマスメディアは、権力からみると、御しやすい側面が強い。原発訴訟に関する先のような議論が出てきたときには、耳あたりのよい俗論にだまされないようにしないといけないと思います。

たとえば、新藤さんの意見で僕もそれができればいいかもしれないと思うのは、原発訴訟専門裁判所の裁判官については原発に対して厳しい判断のできるような知識経験のある弁護士を過半数登用すべきだというものです。

僕も本当にそれができればベターかもしれないと思いますが、日本の政治と司法の現状を考えると、たとえ弁護士からの登用が可能になったとしても、わずかな数のポストについて、真に適切な人々が選ばれるのだろうかという危惧は、もたざるをえないですね。

もっとも、権力も最高裁も周到ですから、仮に原発訴訟を専門に扱う裁判所やセクションができたとしても、最初は、あまり露骨なことはしないでしょう。

たとえば、最初に判決に至る訴訟については、時間をたっぷりとかけたそれなりに密度の高い議論が行われるかもしれません。しかし、結局は、原発の「専門性」をいって行政に幅広い裁量を認める判決が出る。

そして、それ以降は前例を踏襲する判決が相次ぎ、稼働中の原発の差止めを認めるような果敢な判決はなくなる。そのうちに、みんな、「そういうものか」と思うようになってしまう。たとえばそんな展開も考えられますね。