〔PHOTO〕gettyimages
哲学・思想

なぜマルクスは宗教を「民衆のアヘン」と批判したか

21世紀の今も色褪せぬ思想の本質

なぜ宗教は「民衆のアヘン」なのか?

ソ連が崩壊してから25年になるが、共産主義理論の創始者であるマルクスの名前は今でも有名だ。もっとも主著『資本論』をはじめ、マルクスの著書は知られていても、実際に読んだ人は少ない。

マルクスが宗教を「民衆のアヘン」と批判したことは何となく知られているが、それがどの著作であるかということを知っている人はほとんどいない。

21世紀になって、共産主義の影響はほとんど無くなったが、イスラム原理主義やアメリカのキリスト教右派は無視できない影響力を持っている。日本では、既成宗教、新興宗教がともに影響力を低下させている。他方、自己啓発セミナーやマルチ商法のような擬似宗教が影響力をますます拡大している。

おかしな宗教や擬似宗教に引っかかると人生が滅茶苦茶になる。宗教のリスクを知るために25歳の若きマルクスが「民衆のアヘン」と書いた『ヘーゲル法哲学批判』について、検討してみよう。

 

マルクスは、

〈反宗教的批判の根本は、人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない、ということである。

たしかに宗教は、人間が人間らしい生き方をまだしていないか、もうできなくなっている場合の、自己意識であり自己感情である。けれども人間というものは、けっしてこの世界の外にうずくまっている抽象的存在ではない。

人間、それはつまり人間の世界のことであり、国家であり社会のことである。この国家、この社会が、宗教という倒錯した世界意識をうみだすのは、この国家、この社会が倒錯した世界であるためである〉

と指摘する。

人間が宗教を作るのであるという至極当たり前のことをマルクスは指摘している。その上でマルクスは、宗教が人生の問題を解決する際に参照する百科辞典のようなものだという考えを示す。

〈宗教は、この世界の一般理論であり、それの百科辞典的な綱要であり、その論理学が通俗的な形をとったものであり、それの精神主義的な名誉問題であり、それの興奮であり、それの道徳的是認であり、それのおごそかな補足であり、それの慰めと弁解の一般根拠でもある。

宗教が人間の本質を空想的に実現したものであるのは、人間の本質が真の現実性を持っていないからである。だから宗教にたいする闘争は、間接的には、宗教を精神的香科としてもちいているこの世界にたいする闘争である〉

もっともこの百科辞典は、通俗版なので、宗教によって人間は世の中の問題を何となくわかってしまったような気になるが、「真の現実性を持っていない」と批判する。

現代に引き寄せて言うならば、日銀の金融政策や、安倍首相の北方領土戦略をテレビのワイドショーによって理解するようなものだ。

21世紀の今も価値は変わらない

宗教には人間に即効性のある幻想的な解答を与える危険性があると考える。

〈宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、一つには実際の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやんでいる者のため息であり、また心のない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは、民衆のアヘンである〉。

宗教や自己啓発セミナーやマルチ商法のような擬似宗教に阿片のような作用があることは間違いないと思う。

それではどうすれば、人間は宗教を脱構築することができるのであろうか。