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韓国 不正・事件・犯罪

朴槿恵の疑惑をずっと放置してきた「韓国マスコミ」の呆れた体質

時の政権には逆らえない…

朴槿恵(パク・クネ)大統領を窮地に追い込んでいる「崔順実(チェ・スンシル)事件」。去る11月12日には韓国全土で朴槿恵大統領の退陣を求める「100万人デモ」(ただし主催者発表)が行われるなど、政権を揺るがす大問題となりつつある。

しかし、今回の疑惑はずいぶん前からマスコミの間では有名な話だったのだ。なぜいまになって噴出したのか? 事態の流れを振り返ってみよう。

朴槿恵と崔順実の「蜜月」

この事件は朴大統領の友人・崔順実氏(60)が国家の機密情報を入手し、国政の運営や政府の人事に介入していたほか、その近親者や関係者が文化・スポーツ財団を相次いで設立して私物化し、私腹を肥やしてきたというものである。

崔氏が設立した文化・スポーツ財団には政府や企業などから巨額の資金が拠出されており、政権の後ろ盾があったのではないか、という疑いが持たれているのである。また、崔順実氏の娘・鄭ユラ氏にも、在学していた大学における不自然な特例供与が報じられている。

一連の不正や疑惑は、崔氏が使用していたパソコンがJTBCという放送局に「流出」したことが発端となり明らかになった。

そのパソコンのファイルを分析した結果、朴大統領から崔氏に国家機密が伝達されていたことが判明。これが突破口となって、崔氏やその近親者・関係者の悪事が芋づる式に暴かれることとなった。

疑惑は国家の機密情報を漏らしたとされる大統領側近や、財団設立に関連していたといわれる政府高官にも及び、ついに大統領が謝罪に追い込まれることになった。現在も連日連夜、崔氏関連の疑惑や不正が報じられており、どこまで事件の波紋が拡大するのか、まったく予測が立たない状況である。

崔順実氏 Photo by gettyimages

崔順実氏がここまで朴大統領に食い込むことができたのは、崔氏の父・崔太敏氏(1912~1994)が朴槿恵大統領の父・朴正煕前大統領の時代から大統領府に出入りする権勢家だったためである。この崔太敏氏は1970年代に新興宗教・「永世教」を興し開祖となった人物である。

1974年8月、朴槿恵氏の母親・陸英修女史が狙撃されて死亡する事件が起こるが、このころ崔氏は朴槿恵氏に接近。崔太敏氏は朴槿恵氏に「自分は陸英修女史の夢を見た」「私の霊的能力を通じて陸女史に会うことができる」などと語り、傷心の朴氏を篭絡。1975年に崔太敏氏は「大韓救国宣教団」という団体を創設して総裁に就任するが、その名誉総裁に朴槿恵氏を迎えている。

1979年に「大韓救国宣教団」を「セマウム奉仕団」に改称し、大学や企業の内部で勢力を拡大させた。崔順実氏はこの「セマウム奉仕団」の幹部として朴槿恵氏に接近し、父親とともに親交を深めることになる。

1979年10月の朴正熙大統領暗殺後、崔父娘は故・陸英修女史が設立した児童福祉財団・「育英財団」の幹部も務めた。この財団の運営をめぐり、朴槿恵氏の妹・朴槿令氏と崔父娘が対立。朴槿令氏が「妹(朴槿恵氏)が崔太敏に騙されている」と主張し、崔太敏氏の処罰を求めて、盧泰愚大統領(当時)に嘆願書を出すという事件が起こっている。この事件で朴槿恵氏は「育英財団」の理事長職を辞している。

崔太敏氏は1994年に他界しているが、崔順実氏はその後も20年にわたって朴槿恵氏と関係を結び、数々の不正にかかわってきた疑惑があることは、すでに報じられているとおりである。

疑惑は2008年時点で判明

さて、前にも書いた通り、今回の事件は崔順実氏のパソコン「流出」によって明るみに出たとされている。

しかし、崔順実氏をめぐる疑惑は韓国のマスコミ関係者の間ですでに広く知れわたっていたという。事実、日本の大手新聞社の元ソウル特派員を務めた知己からも「何を今更といった感がある」という話を聞いた。

 

実は今から9年前の2007年、崔順実氏の不正を記した文書が公開されたことがあった。当時の盧武鉉政権(2003年~08年)は、情報機関である国家情報院を通じて朴槿恵氏の身辺調査を行っていた。この背景には、当時の緊迫した政治状況がある。

2004年3月、盧武鉉大統領に対する大統領弾劾訴追案が国会で可決された。しかし、弾劾訴追案を通過させるのに中心的な役割を果たした野党・ハンナラ党は国民からの強い反発を受け、党代表が辞任。後任の代表に朴槿恵氏が選出された。

2004年4月の総選挙では朴槿恵代表のもとでハンナラ党は善戦し、党勢を回復させることができた。これに脅威を感じた与党・ヨルリンウリ党は2004年7月から数ヵ月をかけて朴槿恵氏の身辺調査を行ったのである。

この調査の結果が明るみに出るのは、ハンナラ党の大領領候補公認をめぐって朴槿恵氏と李明博氏が競い始めてからである。2007年6月、李明博陣営は国家情報院から流出した(とされる)朴槿恵氏に対する身辺調査の結果(「朴槿恵Xファイル」と呼ばれる)を入手し、これを公開した。