医療・健康・食 エンタメ 週刊現代
大橋巨泉さんの妻がはじめて語る「夫婦の愛」
死へ向かう日々にわかったこと

医者の投薬ミスで
命を縮めてしまった、
いまもそのことだけが
心残りです……。

いくら望んでも帰ってこないことは分かっている。でもその愛が変わることはない――時折声を詰まらせながらも、笑顔で語った、亡き夫への思い。そこには深い愛情で結ばれた「夫婦の物語」があった。

 

書き続けた治療日記

今日は主人と一緒に来ました。(プラスチックのBOXを指さして)これ、「巨泉」でございます。御骨をいつも肌身離さず持ち歩いているんです。

主人が亡くなった後、カナダの自宅を整理しに行ったのですが、そのときも一緒でした。骨壺のままだと飛行機のX線検査を通らないので、私が手作りした布製の巾着に入れた上で、プラスチックのBOXに入れました。

このBOXは300円で買ったんですけど、それじゃあ可哀想なので「巨泉の名札」を付けているんです。これなら寝るときも、ご飯を食べるときも、どこにいても一緒にいられますからね。

大橋家の父と母が待っているお墓があるので、この御骨もいつかはそこに納骨するつもりなのですが、今はまだやっぱりそばに居てほしくて……。

「分骨はするな」というのが主人の遺言です。「天国カントリークラブ」でゴルフをするときに、指や足がないと困るからと。だからすべての骨がここに入っております。

10月19日でちょうど主人が亡くなってから百ヵ日が経ちましたが、まだ気持ちの整理がついていない部分もあります。ただ、亡くなる前の3ヵ月間、入院先の病院で一緒に過ごした日々はすごく貴重なものでした。

亡くなったときは、「よく頑張ったね。もう苦しまなくていいね」と……ああ、思い出すとやっぱりダメですね。どうしても涙が出てしまって……。

主人は『週刊現代』で、『内遊外歓』から始まり『今週の遺言』まで約20年間、コラムを連載してきました。その中でも後半は「自分の病気に関すること」を多く書いてきました。

最初に胃がんが発見されたのは'05年のこと。その時は胃の半分を摘出し、生還を果たしました。ところが'13年に中咽頭がんを発症。その後は肺に転移したり、鼻腔にまでがんが見つかりました。手術を5回、放射線治療は80回以上も受けました。本当によく頑張ったと思います。「あっぱれ」をあげたいです。

中咽頭がんになってからずっと治療経過をノートにつけてきました。最後は結局7冊になりました。最初の胃がんのときは初めてのことで動転していたので、そんな余裕がなかったのですが、中咽頭がんのときは2回目だったので、記憶だけだとどうしても曖

昧になると思い、記録することにしたのです。一部ですがノートをお見せします。

〈右肺下葉部切除、無事完了〉〈ストレッチャーの上で眠っている〉〈鼻の下がなぜかかゆいらしい〉

主人は自分の病状のことを包み隠さずコラムでも伝えてきましたが、それは多くの人に、自分の体験を通して、がんという病気を知ってほしかったからです。

このノートにも何かの役に立てばと思って、体温や血圧も毎日つけていました。でも、ノートの最後のほうは悲しくて……今でも見ることができません。

もちろん手術をしないことを選ぶ患者さんもいらっしゃいます。それもまた一つの選択です。どんな選択をするにしても「情報は多いほうがいい」というのが、主人の考えでした。

がんとはなんとか折り合いをつけてきましたが、'15年にかかった腸閉塞には参りました。原因は最初に胃を切除した際の体内癒着でした。

腸に管を入れてお腹に溜まった物を出すので、(元々80㎏あった体重が)がんで62㎏まで落ちていたのが、47㎏に落ちました。鼻からは吸引チューブが入り、飲水も禁止なので口や喉が渇いて喋れず、あれは辛かったと思います。

このとき、とうとうコラムを休んでしまいます。胃がんのときですら休まずに続けてきたのに……本人も忸怩たる気持ちだったと思います。

体力的な心配はありましたが、それでも暖かいところで過ごしたいと、退院後('15年12月)には、ニュージーランドへ向かいました。毎年のことですが、あっちでは二人きりですから、食事の準備から看病まで全部やりました。ゆっくりですが歩けるようになったので、一緒に散歩をして……それは本当に幸せな時間でした。

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