日本史 キリスト教

昭和初め、加熱するクリスマス騒ぎを柳田國男はこう見ていた

【連載】クリスマスと日本人(15)

そもそもは日本人とは縁もゆかりもない外来の祝祭、クリスマス。それがなぜ日本では恋人たちの夜になったのか?

その歴史的変遷をホリイ博士がずんずん追いかける連載第15回、いよいよ昭和に突入! 昭和になると12月25日は大正天皇が崩御した日として、国民の休日になったのだが…。(前回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49957 第1回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47056

大正天皇崩御の日と重なってしまった

昭和に入り、クリスマスの様相が変わる。

大正帝が崩御されたのが12月25日であったため、昭和2年からこの日は「大正天皇祭」となった。先帝が崩御された日として、官公庁が休む日となったのだ。つまり祭日だ。

昭和2年以降、日本において、12月25日が休みとなった。

これは昭和22年まで続く。つまり1927年から1947年まで、昭和2年から22年までの21年間、日本では12月25日が休みとなったのである。

毎年、クリスマスが休日となった。これがいくつもの影響を与える。

ただ、先帝崩御の日としての休みである。

明治期に制定された日本国の休日は、宮中祭祀にもとづいたものが多く、つまり天皇家の法事にならって国民が休んでいた、という部分が多い。

12月25日が休みなのは、家族でいえば父が亡くなった日なので、追悼のために休む、ということになる。

忌日である。

その日と、バカ騒ぎしていい日である日本人のクリスマスが重なってしまった。

これによって日本のクリスマスは不思議な方向へと動きだす。

* * *

天皇家のことを考え、それが日本の国の根本体制であると考える人にとって、12月25日は大正天皇祭つまり先帝の命日であり、哀しみの日である。先帝祭の正しい過ごしかたは、先帝のことを偲び、静かに過ごすことだろう。

ただ、戦前の日本だからといって、そんな人たちばかりではない。おそらく社会構成は、21世紀の日本を構成してる人たちと似たようなものだっただろう。軽佻浮薄な人間もたくさん居る。休みなのだから遊んで過ごしていい、と考える。当時の政府も、先帝の命日は先帝を偲んで家に蟄居しているように、と強制しているわけではない。

両者は心情的に相容れず、対立する。

国体の称揚と護持を考える派閥と、海外の祝祭に便乗しようという派閥に分かれるという、ある意味、わかりやすい構図となっている。国内派と国際派である。

もちろん正面切った対立ではない。どちらもお互い、何となく認めたくないという感情レベルの見えない対立であり、正面切って相手を非難することは、少ない。

ただ、この微妙な空気が昭和前期の〝休日としてのクリスマス〟を不思議な形で彩っていく。

 

柳田國男の見解

憲法学者の上杉慎吉博士は、天皇主権説を唱えた君権学派の教授である。天皇機関説を唱えた美濃部達吉と対立し天皇機関説論争をまきおこした。この上杉博士のクリスマスに関する意見が1927年(昭和2年)12月18日の朝日新聞に載っている(上杉博士が自ら投書したもののようである)。

クリスマスは宗教行事なのだから、非信徒である日本人がその日を祝うのはおかしい、ただ子供の日だと考えるとよいのかもしれない、という主意である。

「クリスマスは宗教上のお祭である。その宗教を信ぜざる者が、そのお祭をするということは、実に変妙なわけの分からぬことであるのみならず、人間としての理性と感情とに対して恥ずべきことである。しかるに我が日本において、近年ヤソ教徒ならざる者の間においてすら、クリスマスを祝うことがはやって来た。西洋人は不思議に思っている(…)

しかし、毎年のクリスマス騒ぎも、子供の遊びと思って見れば、そうやかましくいうにも当たらぬかもしれぬ。クリスマスも祝い、お会式にも太鼓をたたき、報恩講にも詣り、恵方参りもするというのも、日本人の物に屈託せぬところと見れば面白くもある。(…)

こんな事を私などが、わざわざ新聞に投書して、一言居士をやるにもおよばぬことであるが、私は今年だけは少なくともクリスマスを祝うことはやめてもらひたいと、厳粛に申したいのである。

いふまでもなく、クリスマス当日十二月二十五日は、畏くも先帝崩御の、第一年に当たる、悲しき日である。国民が去年の今日を思ひだして、もつと厳粛なるべき日である。この日に、メリイクリスマスは余りに不謹慎である子供の遊びでも多いに慎もうではありませぬか」

天皇こそ国家であると主張した博士としては当然の主張であろう。

この投書に回答を寄せているのが、かの、柳田國男である。