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『住友銀行秘史』は、出世とは、組織とはなにかを学ぶ絶好の教科書だ
「会社のために」が会社を滅ぼす

銀行員のみならず、他業界のビジネスマンからも「組織を学ぶ絶好の教科書」と評判の『住友銀行秘史』。会社とは、出世とは、働くとは何かを考えさせられる、12万部越えの話題の書の「読み方」を、佐高信氏と山崎元氏が語り尽くした。

「行儀の悪い」銀行だった

山崎 『住友銀行秘史』を読んで思ったのは、あのとても強く見えていた住銀も、内部ではまったく違った風景が広がっていたんだなということです。金融マンとしてはやはり、住友銀行はほかの都銀とは違う特別な銀行だったと思うんです。

佐高 といいますと。

山崎 私は若い頃に三菱商事の財務部にいて、ほとんどの銀行と付き合いがあったのですが、みんなが「住友銀行だけは特別だ」ということをそれぞれ違うエピソードで語るわけです。たとえばある人が、「取引先が倒産したときに住銀のバンカーはいち早く現場に行って、担保を先に押さえて行きやがった」と言えば、別の人は「銀行協会の中で検討事項があるときに、住銀だけが談合破り的なことをしてきた」と言う。

当時、どうも住友銀行は「暴れん坊」だとの意識が各行にあり、住銀もそう言われることを良しとしている行風がありました。

佐高 そうですね。もっと言えば、住友銀行は当時の住友グループの中でも異端の存在でした。

もともと住友グループの源流は金属鉱山会社にあり、「浮利を追わず」というのが伝統なんです。だから、グループトップたちは表向きは言わないけれど、実際に会って話を聞くと、「住銀はちょっとねぇ、行儀が悪いよね」と本音を漏らすんです。

山崎 私もそれは「実体験」しました。私は三菱商事を退職した後、いくつか転職をして住友信託銀行に勤めました。ちょうど金融再編があった年でしたが、当時の住友信託行内は、自分たちの業績が悪くなれば住友銀行に吸収されてしまうという強烈な危機感に満ちていたんです。

そして、住銀のような暴れん坊に吸収されたらどんな目に遭うかわからないので、住友信託の行員は何としてでも頑張って業績を上げようとした。笑い話のようですが、同じ住友グループ内でも住銀は恐怖の対象だったわけです。

 

佐高 住銀のえげつなさは「逃げの住銀」と言われていて、取引先の経営状況が悪くなると、人情のかけらもなく貸金をひきあげて真っ先に逃げるというのが定説でした。ちょうどイトマン事件の前後の頃、三菱銀行のトップが、「三菱の銀行マンはフロックコートを着て、立ち小便するようなマネはするな」と言ったそうなんですが、これも暗に住銀を指していた。

山崎 行風の違いの言われ方としては、「夜の10時の大阪で、住銀はまだ残業、三和は新地で飲んで、大和は家に帰っている」というのもありました。三和にも算盤を持った小悪党のような人が少なからずいましたが、闇の勢力と直接付き合うような迫力はなかった。それが、住銀だと必要があれば暴力団とも対峙する。良くも悪くも一歩踏み出していましたよね。

佐高 逆に言えば、その闇の部分を請け負うことでみずからの存在価値を高めようとする行員も出てくるわけです。たとえば住銀からイトマンに移った河村良彦社長などは、「伊藤寿永光とやりあうのは自分の専売特許だ」と考えていた。それが河村社長の存在証明であり、住銀会長だった磯田一郎から認められている部分だから、絶対にほかの行員たちに渡せない。

権力の源泉は人事

山崎 はい。銀行というのはある種の宗教団体のようでもあり、軍隊のようでもあります。住友銀行であればまず住銀行員ということにアイデンティティと誇りを持ち、さらにその中で自分がどういう立場にあるかが彼らにとってなにより価値を持つ。当時の住銀の場合は特に、実力会長である磯田さんが人事権を握っているので、彼にいかに認めてもらうかが行員たちのすべての行動指針になってしまう。

佐高 山崎さんのおっしゃる通りで、彼らは住銀につかえていたわけじゃなくて、磯田につかえていたようなものです。当時の副頭取だった西貞三郎氏にしても同じで、河村社長と似たような「汚れ役」を引き受けることでみずからの存在証明をしていた。

磯田に対して「ほかのやつらの言うことは間違っているから聞くな」と必死になったのも、自分のバンカーとしての生き残りをかけていたからでしょう。結果として、そうした情報が磯田を惑わせ、間違った方向へと突き進ませるのが皮肉なわけですが。