オリンピック 格闘技
ニッポン柔道をV字回復させた男・井上康生の「改革」は未だ道半ば
リオ五輪に達成感はあまりない

日本柔道の再構築。それは実績とカリスマを持つ、彼にしかできない仕事だった。アテネの涙、ロンドンの屈辱、負けて得たものは確かにあったのだ――。

取材:柳川悠二

覚悟を決め、最善を考えた

全階級メダル獲得と躍進を遂げたリオ五輪から2ヵ月、柔道男子監督の井上康生(38歳)は、今も忙しないスケジュールをこなしている。

現役時代は華麗な内股で「一本」の山を築いた稀代の柔道家。しかし、いまやスーツを身にまとい、金メダル0個に終わったロンドン五輪から、4年で柔道界を建て直した改革者。そんなイメージが定着した。

「ロンドンで日本の柔道は墜ちるところまで墜ちた。しかしながら自分たちを見つめ直す、いろいろなことを取り入れる、良いきっかけにはなったと思います」

ロンドン五輪前年からコーチとして男子チームに帯同していた井上自身、不満を抱え込む選手と、古い体育会系気質の抜けきらない首脳陣との板挟みに遭っていた。

'12年11月、監督に就任。その直後、女子強化選手に対するパワハラの存在が明るみに出た。そういった体質は男子代表にも少なからず存在していた。

「監督になったからには覚悟を決めて、最善を考えた。これという強化策が実ったから全階級メダルにつながった、というようなことは一概に言えません」

井上は、その手腕をひけらかそうとはしない。

しかし、リオの地で柔道界の大きな変化を感じた。

 

大会初日の60kg級。井上の大学の後輩である高藤直寿が準々決勝で敗れ、銅メダルに終わった。表彰式の後、しばらくして取材陣の前に現れた井上は一言、「誇りに思う」と讃えた。

4年前のロンドン五輪では当時の首脳陣がメダリストの表彰式を見届けることなく、帰路に就いていた。これまで日本の柔道家は金メダルしか目指しておらず、許されていなかったのだ。

しかし、井上は言う。

「3連覇、4連覇なんて記録が注目されていますけど、五輪というのは選手にとって一生に一度、巡りあえるか巡りあえないかのチャンス。ですから、メダル云々よりも、自分自身ができることを出し切れと伝えていました」

〔PHOTO〕gettyimages

根性論を否定はしないが

井上は監督就任後、まずコーチ制度を変えた。

前体制では複数のコーチが全階級の選手を指導していたが、井上体制下では7階級を5人のコーチが分担する形で指導。コーチは選手の所属先の練習にも顔を出し、彼らのコンディションを把握した。当然、コミュニケーションは密になり、信頼関係が築かれていく。

次に、ひたすら走り込みや何十本もの乱取りを繰り返すだけだった代表合宿の在り方を変え、「技術を高める」「基礎体力を高める」など、テーマを設けて選手たちを集めた。

量だけでなく、同時に「質」も求めたことは、'08年の現役引退後の2年間、イギリスに留学した経験が活かされている。

「語学、政治、宗教、柔道においても、自分がこんなにも無知なのかと思い知らされた2年間でした。日本で過ごしていた時の世界観、日本観とは違った景色が見えました。たとえば柔道の練習にしても、時間は短いのに効率的な練習をして、試合に活かしていた。日本はどの国にも負けない量は行ってきた。されど、ロンドン五輪では敗れてしまった。その差がどこにあるか見た時に、質を求めなければいけないと思いました」

いわば日本のスポーツ界にはびこる根性論を捨てた。

「ただ、根性論や精神論を全否定することはできない。勝負は生き物。予期できないことがたくさん起きる。そういう時の対応で、非効率的なことの経験は絶対に必要なんですよ。量と質。そのバランスを考えました」

海外選手に対する研究も進めた。相手が試合後半になると反則である「指導」を誘発するような戦いになるのか、最後まで「一本」を狙いにくるのか、そういった柔道の傾向を情報分析班に数値化させたのだ。

「これだけの情報化社会。科学的な力を活用しないことはマイナスです。1%でも2%でも選手の能力を引き出し、勝つ確率を高くすることを考えていました」