その筋の親分に連れて行かれた「日本一の煮込み屋」その忘れがたき味

島地勝彦×廣瀬恭久【第1回】
島地 勝彦 プロフィール

廣瀬 わたしは去年の3月にエノテカの株を100%売却しまして、いまは会長をやっていますが、エノテカはアサヒビールの子会社なんですね。アサヒビールは飲食事業に関してすごく詳しくて、彼らの統計でいいますと、100軒新しいお店が出来たとしたら、10年後に残っているのはそのうちの10軒だけなんです。

シマジ たしかに、わたしの感覚でもそんなところかもしれません。やっぱり厳しい世界なんですね。

廣瀬 それだけ激しく次から次へと移り変わるんです。とにかく流行り廃りが激しいんですよ。そんななかでレストランビジネスをやっていくのは並大抵のことではありません。

わたしの場合、現場にいないじゃないですか。シェフでもないし、ソムリエでもない。わたしがお店に立って実際にサービスするならまだしも、そうじゃないとレストラン業は難しいし、経営的にはきついです。やっぱり、シマジさんみたいに食べる側専門でいるほうが幸せですよ。

立木 それみろ。シマジは美味い汁しか吸ってないってことだよ。オーナー面で好き勝手なことをいっていても、オーナーの苦労はこれっぽっちも知らないんだから。

廣瀬 でもシマジさんは素敵なお店をみつける天才ですよ。それにそこの店の料理人を手なずけることにおいても天才です。シマジさん、何度聞いても面白いですから、江古田のあの店の話をしてくださいよ。

シマジ あれはたしか『Bart』を創刊した直後でした。クタクタになって、午後4時ごろ、1人で千駄ヶ谷の国立競技場のなかにあるスポーツクラブのサウナに入っていたんです。わたしの他は、あきらかにその筋と思しき男5人だけでした。

するとイケメンの親分を囲んで子分たちがこうんです。

「親分、久しぶりにあの店の煮込みが食いたいですね。あれは誰が何といおうと間違いなく日本一です」

「お前たちがそこまでいうんなら、これから行こうか」と親分がいったところで、よせばいいのに、うっかり「その店はどこにあるんですか?」と訊いてしまったんです。

すると親分が「客人、もしお暇ならいまからご一緒しませんか」とくる。わたしはきっと新宿辺りの店だろうと想像して「ぜひお伴させてください」と応えたら「じゃあ30分後に玄関で集合しましょう」ということになった。そして、全面スモーク貼りの大きなバンに乗せられて出発しました。

わたしはいちばん奥のシートに親分と並んで座りました。新宿を抜けて青梅街道に入ったあたりで、だんだん心配になってきて親分に訊きました。

「まだでしょうか。随分遠いところなんですね」

すると親分は「なーに、もうすぐですよ」という。中野駅のガードをくぐってもまだ止まらず、バンはまっすぐ進んで行きます。もしかして組の事務所にでも拉致されるんじゃないかと、いよいよ不安になったとき、親分がニッコリ笑って「まもなくです」というじゃありませんか。

新青梅街道にぶつかると左に曲がり、すぐまた右に曲がって静かな住宅街に入ったころには、外はすっかり暗くなっていました。いよいよもうダメかと思っていたら、若い衆が「親分、着きました」といって、みんなで車を降りました。

いやあ、驚きましたよ。だって、店の看板をみたら「やっちゃん」と書いてあるじゃないですか。

ヒノ ヤクザの親分に連れて行かれた店が「やっちゃん」って、話が出来すぎですよ。

シマジ そう思うだろう。でもこれは実話なんだよ。そこが彼らのお目当ての日本一美味い煮込みを出す店だったんだ。

そして、わたしを入れて男ばかり6人がカウンターに陣取り、食事がはじまりました。たしかに煮込みの美味さには目を見張るものがありましたけど、そこで出てきた生の牛肉が抜群で、完全に参ってしまいました。結局その夜は親分にご馳走になって、さらに新宿駅まで送ってもらいました。

ここからがわたしの才能なんでしょうね。翌日すぐに、親しい飛鳥新社の土井社長を誘って裏を返しにいったんです。それからというもの3日と空けず通い詰め、店のオヤジさんとすっかり昵懇になったところで、廣瀬さんをお連れしたというわけです。

廣瀬 わたしを連れて行ってくれたころには、すでにオーナー面で、いろいろな特別料理をオヤジさんに作らせていましたよね。

シマジ そうそう。でも、あの牛の脳みその鮨は美味かったですね。

廣瀬 ああ、あれはたまらなかった。ちょっとピンク色をした延髄の部分が最高でしたね。

シマジ 当時はまだ狂牛病が問題になる前でした。やっぱり、われわれは強運なんでしょう。

ヒノ 牛の脳みそですか。いったいどんな味なんですか?

シマジ お前は博多出身だから、1月末ごろにフグの白子の握りを食べたことがあるだろう。

ヒノ いや、まあ、あるにはありますけど、いましているのは牛の脳みその話です。

シマジ 他のもので例えるとすればフグの白子に近い味なんだが、その十倍以上、牛の延髄の方が美味いんだよ。その握り鮨がこれまた最高。それも酢飯じゃなくて普通のご飯を冷ましたものがよく合うんだ。

廣瀬 たしか奥さんの実家がお米屋さんだといっていましたよね。

ヒノ 廣瀬さん、よくそんな細かいことまで覚えていますね。

廣瀬 だってヒノさん、その米がまた、タダモノではなく美味いんですよ。

立木 シマジ、これからみんなで行こう。脳みその鮨が食べてみたい。そこで対談の続きをやればいいじゃない。

シマジ タッチャン、残念ですが、狂牛病が流行して以降、牛の脳みそを食べることは禁止されてしまったんです。おれはもう7、8年行っていないけど、廣瀬さんはいまでも行ってるんですか?

廣瀬 いやわたしももう長いこと行っていません。予約しようと思って電話するといつもいっぱいですと断られて、そのうちに足が遠のいてしまいました。

シマジ いまや予約困難な超人気店ですから、今日の今日では難しいでしょうね。第一、オヤジさんが心臓病で倒れてからは、毎日お店を開けているわけではないらしい。

廣瀬 たしか女将さんがそんなことをいっていましたね。

ヒノ ちなみに、牛の延髄を食べたとき、ワインはどんなものを持参されたんですか?

廣瀬 そのころのシマジさんはボルトーがお好きでして、たしかシャトー・ラトゥールとシャトー・ペトリュスを持っていったんじゃなかったでしょうか。

ヒノ ヴィンテージは?

廣瀬 70年代のものでした。当時はまだ、いまでは考えられないほど安く手に入ったんですよ。

ヒノ ああ、もっと早く産まれてくればよかったです。

立木 ヒノ、おれみたいに早く生まれてきても、地味なワインしか飲んでいない男だってたくさんいるんだよ。

〈次回につづく〉

廣瀬恭久(ひろせ・やすひさ)
エノテカ株式会社 会長
1949年兵庫県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、川鉄商事(株)に入社。ユニゾン(株)勤務を経て、1988年8月、ワイン専門商社「エノテカ」を設立し代表取締役に就任する。2015年3月、アサヒビール(株)の完全子会社となり、現職に。

著者: 開高健、島地勝彦
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1989年に刊行され、後に文庫化もされた「ジョーク対談集」の復刻版。序文をサントリークォータリー元編集長・谷浩志氏が執筆、連載当時の秘話を初めて明かす。

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