「昭和の妖怪」岸信介が東条内閣打倒を決めた本当の理由

教鞭な戦争完遂論者だったハズなのに

早期終戦案は全く頭にない

さて戦争末期に岸信介が何を考え、どう振る舞ったかという問題に決着をつけなければならない。それができれば「昭和の妖怪」と言われた岸の正体も自ずと見えてくるのではないか。

と思いながら永田町の国会図書館で文献を漁っていたら「岸信介と護国同志会」(東中野多聞著・史学雑誌1999年9月号)という論文に巡り合った。

20ページの短い論文なのだが、著者の東中野さんは戦中政治史を専門分野とする優れた研究者らしい。さまざまな資料を駆使して戦争末期の岸の行動を解き明かしていた。私は夢中になって読みふけった。

冒頭、東中野さんは、東条内閣の打倒に踏み切った理由についての岸の言葉を掲げている。

 

サイパン陥落で空襲が激化して軍需生産がままならなくなり、早期終戦しか道がないと思ったという、例の回想である。

東中野さんは〈この岸の回想を、従来の研究はほぼ額面通りに受け入れてきた〉と述べ、次のような疑問を投げかける。

岸らの〈反東条運動が、結果として東条内閣を打倒し、日本の終戦を早めたことは疑いない。だが岸を中心とする反東条運動は、実際に早期終戦を目指していたのであろうか〉と。

前にふれたが、戦争末期の衆院には岸に近い議員約30人がいた。彼らは岸と連携して東条内閣を倒し、翌1945(昭和20)年3月、事実上の岸新党=護国同志会を結成する。東中野さんによれば、護国同志会の政策大綱は次の通りだった。

〈一、憲法に恪遵(=謹んで従う)し議会の権能を昂揚し国民の忠誠心を戦争政治に直結し以て必勝不敗の体制を確立す。

二、戦争政治の全面的刷新を断行し以て戦力の飛躍的増強と国土防衛の完璧を期す。〉

少しわかりにくいが、ポイントは議会の力を強めて「国民の忠誠心」を結集し、「戦力の飛躍的増強」を図ることだ。それにより「必勝不敗」の体制を作るということだろう。

この政策大綱は、前に紹介した護国同志会の元幹部・中谷武世の証言と一致する。中谷によると、護国同志会の政策は「大東亜戦争完遂」で、それが「政策のすべて」だった。

では、彼らは具体的にどうやって「戦力の飛躍的増強」を実現しようとしたのか。東中野さんは、護国同志会は「陸軍、海軍、軍需省の三者が別々に行っていた軍需生産を一元化しようとしていた」と指摘する。

そのため大本営に「戦時生産統営本部」を設置して陸海軍に準ずる地位を与え、軍・官・民が一体となった「生産軍」の創設を構想していたという。

と同時に護国同志会は、それぞれの地方に「護国義勇軍」を組織し、その力を集めて強力な国民政党をつくることを目指した。実際、メンバーの大半は帰郷して何らかの政治活動を行い、岸もこの年の4~5月、「防長尊攘同志会」を結成するため山口県内を動き回った。

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