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90年代のリバイバル

ここのところ、ITの分野では、90年代のリバイバルが流行っている。AI=Artificial Intelligence=人工知能しかり。VR=Virtual Reality=仮想現実しかり。

もちろん、AIにしてもVRにしても、過去四半世紀分の経験と蓄積を経た上での再度の盛り上がりだ。AIについてはビッグデータやマシン・ラーニングが、VRについてはAR(=Augmented Reality=拡張現実)がそれぞれ開発に現実味を与えている。

前々回紹介したビットコイン/ブロックチェーンにしても、電子マネーという90年代に関心を集めたコンセプトの系譜にある試みといえる(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49437)。

いずれにせよ、インターネットの普及が人びとの期待を高めたことは間違いない。現代は、日々の変化を当たり前のものと受け止めるイノベーションの時代である。

そんな「変化=イノベーション」の時代を「進化=エヴォリューション」の概念によって肯定的に受け止めようとするのが、マット・リドレーの最新刊である『進化は万能である』だ。

原書タイトルが“The Evolution of Everything”すなわち「万物の進化」とあるように、あらゆる分野において、環境への適応を通じた変異すなわち進化について論じている。

その対象は、「進化」といえばまず頭に浮かぶ生物は当たり前として、宇宙、道徳、経済、心、人格、政府、宗教など多岐にわたる。生物や宇宙のように物理的実体のある自然科学の対象もあれば、経済や政府のように実体のない社会現象も扱う。心や人格のように人間の精神と脳や身体を結びつけようとする概念も対象となる。文字通り「万物」を扱っている。

そのような万物の進化、すなわち環境の変動に応じて自律的に変異する様子ならびにそのメカニズムを取り上げることで、リドレーが強調しようとするのは「ボトムアップの変異」である。

 

彼は、あらかじめ誰かが変化のあり方を決定しているような神のごときデザイナーの存在を認めようとはしない。「トップダウンの変化」の方が優位だとは考えない。多数の者が、相互に相手にとっての環境になりながら、互いに干渉しあいつつ変異するような、進化論的な全体的変化の方に真理をみている。

では、なぜそれが、冒頭に記したような「90年代のリバイバル」の一つとしてカウントされるのかというと、リドレーが主張するような、自律的な「ボトムアップの進化=変異」のあり方は、「創発(emergence)」と呼ばれる、90年代に広く注目を集めた概念に由来しているからだ。

これは「複雑系」と呼ばれる研究分野で使われ始めた概念であり、有名な研究機関としては、84年に設立されたサンタフェ研究所が挙げられる。85年設立のMITメディアラボとともに、80年代後半から90年代初頭にかけて、情報科学、数理工学、生物学、生態学、遺伝子学等の多様な分野の英才が集まる梁山泊として、当時の学際的潮流の中心的役割を果たしていた。

末期とはいえ冷戦時代に設立された研究機関らしく、そもそも複数の学問の「際(きわ)」を極めることで、将来的なブレイクスルーにつながる新たな概念を提案することに力を入れていた。

実際、冷戦時代とはそうした概念の提案が評価される時代だった。応用よりも概念であり、概念の提示は、米ソ対立の中では、知的優位の象徴として、大なり小なり人びとに「希望の未来」を約束するものとして機能していた。

だが、冷戦が終結して以降の90年代は、冷戦下で約束されていた公費による研究予算が削減され、研究開発の現場は民間企業に移っていった。

そもそも政府予算で始まったインターネットプロジェクトが民間に開放(というか移譲)され、それまでサンタフェ研やメディアラボなどで提唱されていた概念も、インターネットにおけるビジネス開発という短期的目的に一旦収束させられ、実用化の目処が立つのが早そうなものから世に紹介されていった。同時に、スタンフォードのようにシリコンバレーと隣接し一体化した研究機関が、イノベーションのエンジンを引き受けるようになった。

AIやVRが10年代に入ってリバイバルしてきたのも、それらがようやく実用化の射程に入ってきたからである。

その意味では、そうしたインターネット登場以後の時代に、ITだけでなくバイオテクノロジーやロボット工学など複数の分野をまたぐ近未来のイノベーションに合わせて、学際的研究を取りまとめるための中核的コンセプトとして浮上したのが「シンギュラリティ」であった。