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51歳で独立・起業、「コーヒーで世界を変える男」川島良彰が目指すもの
第16回ゲスト:川島良彰さん(後編)

大人の遊びを知り尽くした伝説の編集者・島地勝彦が、ゲストとともに“男の遊び”について語り合う「遊戯三昧」。第16回目となる今回は、株式会社ミカフェート代表取締役社長・川島良彰さんをお迎えした。「コーヒーハンター」はこの先どこを目指すのか――。

前編【 人生はまさに「運と縁とエコヒイキ」

ジャマイカ暮らしの処世術

島地 エルサルバドル暮らしでスペイン語はものにしていたから、ジャマイカでの暮らしにはすんなり溶け込めたんじゃないですか?

日野 えーと、ジャマイカって、たしかスペイン語じゃなくて英語だったような気がしますが。

川島 そうなんですよ。私も当時、まったく予備知識がなくて、中米の国だからスペイン語で通じると思っていたらほとんど通じない。しかも私の英語はひどいもので、最初はうまく意思疎通ができなかったんですよ。

島地 なるほど。でも農園開発の責任者がそれじゃ問題でしょう。

川島 で、どうすればいいか悩んだ結果、パンチパーマにしました。

島地 は? パンチパーマ?

川島 ジャマイカの人はほとんどがアフリカ系で、髪の毛が伸びるとチリチリのパンチパーマ風なんですね。私は農作業の日焼けで黒かったし、パンチにしたら現地の人と変わらないんじゃないかと思いましてね、日本からパーマ液を送ってもらって、かみさんに頼んでパンチパーマをかけてもらったんですよ。

島地 それだけで状況は変わったんですか?

川島 最初は笑われたけど、一緒に汗を流し、メシを食い、酒を酌み交わしていくうちに受け入れてもらえるようになりました。彼らは、日本人なんて知らないから警戒していただけで、こっちから歩み寄れば、根は陽気な人たちだから問題ないんです。

日野 たくましいですね、ホセさんは。島地さんも昔、パンチにしてたんでしょう?

川島 そうなんですか!? パンチパーマの編集者なんて見たことないですけど。

幻のコーヒーを復活させて

島地 いやね、週刊プレイボーイの編集長をしていた頃の話です。週刊誌には、ほら、いろんな団体があれこれ因縁をつけてくるわけですよ。「この不良雑誌を糾弾する!」とかなんとかいって。しかも、みんなコワモテの連中ですから青っちょろい編集長だと最初からなめられてしまう。そこで、チリチリのパンチパーマで対応した時期があります。

川島 なんだ、パンチ仲間だったんじゃないですか。

日野 シマジ&ホセでパンチアミーゴスでも結成しますか。

島地 それなりの効果はあったけど、あれは髪の毛が痛むからおすすめしませんね。一時期、髪の毛が薄くなって冷や冷やしました。

ところで、ホセは2007年、51歳のときに退社独立して、株式会社ミカフェートを興すわけですが、なぜそのタイミングだったんですか?

川島 UCCではジャマイカから始まり、ハワイ、インドネシアのスマトラ島での農園開発をさせていただきました。会社員といっても海外で農作業している時間がほとんとで、それも自分のやり方で、やりたいようにやらせてもらっていましたから、恵まれた環境にいたと思うし、会社には心底感謝しています。

でも一方で、幻の品種といわれた「ブルボン・ポワントゥ」を復活させて、「ここでできることはすべてやった」という思いもあったんです。そんな気持ちで続けるのは会社に申し訳ないから、裸一貫、独立して新しい道を歩もうと。

島地 何をすればいいのか、最初からはっきりしていたわけじゃないんですか?

川島 本当においしいコーヒーをより多くの人に飲んでもらいたい。思いはフツフツとたぎっていましたが、具体的に何をどうするか決まっていたわけじゃありません。あれこれ考え、友人知人、先輩方と話しながら少しずつモヤモヤが晴れていって、「生産国と消費国の懸け橋になる」という役割がはっきり見えてきました。

消費国のコーヒー業界は国際価格が下がるとよろこびます。企業としては当然ですが、その裏側には生活苦に陥っている生産者がいます。生産国はというと、国際価格が上がると平気で約束を破り、高値でよそに売ってしまう者もいます。

消費国と生産国の信頼関係が築けていないような気がしていて、それなら自分がなんとかしなくてはと思いました。