週刊現代 日本

学友がついにすべてを書いた『知られざる天皇明仁』の中身

「世襲とは、嫌なものだね」

誰もが抱く「温厚」「物静か」というイメージも、本書を読めば変わるかもしれない。天皇もときには悩み、怒り、そして友と笑い合う、一人の人間なのだ。40年の時を超え、ついに素顔が明らかになる。

「ひどくいやしい男だ」

担当編集者から、あの手記を刊行したいと連絡をもらったとき、驚いたんですよ。私の手元には原稿も掲載誌も残っていませんでしたから。

匿名記事ではありましたが、当時東宮侍従を務めていた重田保夫さんは、私が書いていると気づいていたようです。「いつまで書くんだ」とか「注意深くやってくれよ」とは言われましたが、その他は特に苦情もなく黙認してくれました。

もちろん本人からもお咎めはありません。宮内庁としても、「皇太子(今上天皇)の本当のお人柄が国民に伝わることは、決して悪いことではない」という思いがあったのではないでしょうか。

天皇の「ご学友」として知られる、ジャーナリストの橋本明氏。同氏が共同通信社社会部デスク、ジュネーブ支局長などを務めていた'77年~'80年に匿名で執筆した手記「知られざる皇太子」は、当時の皇太子、つまり今上天皇の人間性を、学習院の同級生の視点から赤裸々に描いて皇室関係者に衝撃を与えた。だが、連載媒体が少部数だったこともあり、広く一般に知られることはなかった。

連載開始から40年近い時が流れた今月、この記事を初めてまとめた『知られざる天皇明仁』(講談社)が刊行された。その中身を橋本氏のインタビューとあわせて公開する。


国民から見れば、天皇はとても柔和で優しい方です。しかし、あのお人柄は自然にできたわけではなく、ご本人の自覚と努力の賜物なのです。天皇も学生時代はごく普通の少年でしたし、みんなと一緒に大声で笑うこともあれば、先生に叱られることもありました。

〈中学一年生の一群が東宮仮寓所の外塀に沿って校舎の方角へ歩いている。鳥尾敬孝(編集部注・後のポリドール常務、故人)は何を思ったか一人飛び出し、先頭に走り、そして振り返った。(中略)

「素焼きの茶ぶた、素焼きの茶ぶた」

一群の真ん中にいて、正面向いて歩を進めていた皇太子は明らかに困惑していた。

「なんだい」と、幾度となくつぶやいた。鳥尾は囃し立てながら、説明を加えた。

 

「茶色いな、茶色いな、素焼きの茶ぶたそっくりだ。ヤーイヤイ」

仕方なく、皇太子は苦笑した。蚊取り線香をぶら下げる陶製の器を、だれもが頭に描いたようだった。反応の遅い笑いだったが、やがてはじけるような爆笑に変わった。このとき、皇太子に初めてあだ名が付いたのだった。「チャブ」。(中略)このころから仲間うちでは、この〝チャブ〟が皇太子の代名詞になった〉

私もそれから長年、天皇のことを「チャブ」と呼び続けていました。天皇は私のことを、田河水泡の漫画からとった「ハチ」と呼んでいましたね。

中学時代には、天皇に悪さを咎められたこともありました。

〈井口道生(編集部注・後の米アルゴンヌ国立研究所名誉主任研究員、故人)と橋本明は小銭をかせぐ方法をいつも考えていた。井口の案で、文房具のブローカーをやることになった。二人は小遣いを全額出し合い、単語帳、鉛筆、消しゴム、物差しなどを買い集めた。校庭の樹木の下などで、二人は仕入れ値の二、三倍で生徒に売りつけた。(中略)

「ひどくいやしい男だ。彼の行為はとてもいやなものだ。しかし体育委員をしているところを見ると、長所もあるのかもしれない」―清水侍従から皇太子がこのように言っておられた、と聞いて、橋本はいささか衝撃を受けた〉

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