司法

最高裁がひそかに進める原発訴訟「封じ込め工作」の真相

日本の裁判所は「権力補完機構」なのか
瀬木 比呂志 プロフィール

瀬木 そうですね。この裁判長についていえば、そういえるかと思います。

しかし、この人事の本質は、さっきも申し上げたとおり、全国の裁判官、とりわけ原発訴訟担当裁判官に対しての、はっきりとした「警告」です。

この異例の人事のもつ意味は、どんな裁判官でも、ことに人事異動や出世にきわめて敏感な昨今の裁判官ならなおさら、瞬時に理解します。稼働中の原発を差し止める判決、仮処分を出すような裁判官は、人事面で報復を受ける、不遇になる可能性が高いのだと。

その名前が広く知られることになった先の樋口裁判長でさえ、しかも直後の異動で、それをやられているのですからね(通常は、『絶望の裁判所』にも記したとおり、最高裁の報復は、ある程度時間が経ってから行われます)。

関連しての問題は、マスメディアが原発訴訟に注目しなくなってからの彼の処遇です。より微妙かつ陰湿な人事が行われる可能性も否定できません。山本裁判長の今後の人事と併せ、世論の監視、バックアップが必要なのです。

福島第一原発事故以前の原発訴訟で勝訴判決を出した2人の裁判長についてみると、これも『ニッポンの裁判』に記したとおり、1人が弁護士転身、もう1人は、定年まで6年余りを残して退官されています。ことに後者の退官は気になります。

また、詳細にふれることは控えますが、国の政策に関わる重大事件で国側を負かした高裁裁判長が直後に自殺されたなどという事件も、僕自身、非常にショックを受けたので、よく覚えています。

少なくとも、定年の65歳までもうそれほど長い任期は残っていない50代半ばくらいより上の裁判長でないと、広い意味での統治と支配の根幹に関わるような裁判について勇気ある判決が出しにくいということ、これだけは、厳然たる事実でしょうね。

また、原発稼働を差し止めた裁判官には、東京ないしその周辺におおむね勤務し続けかつ最高裁でも勤務した経験のあるような裁判官がいないことも、事実です。

ーーまるで、アメリカの謀略映画を見ているような感じがして、こわいですねえ。

 

芸術的ともいえる思想統制

ーー私たちは、瀬木さんの一連の著作や文章が出るまでは、裁判官は「法の番人」としての誇りをもって、公正な審理を行っていると信じていました。

でも、「法の支配」とは無縁の、上命下服、上意下達の見えざる過酷なシステムがあることを『絶望の裁判所』で知り、また、そこで行われている裁判のリアルな悲惨さを『ニッポンの裁判』や瀬木さんのその後の発言で知って、本当に驚愕しました。

ジャーナリストの魚住昭さんが、『絶望の裁判所』について、「最高裁に投じられた爆弾。十年に一度の破壊力、衝撃」と評されたことを思い出します。それくらい、誰も、何も、知らなかったわけです。

瀬木 きわめて巧妙かつ複雑なシステムですよ。すべてが、「見えざる手」によって絶妙にコントロールされている。ある意味、芸術的ともいえる思想統制です。まさに超絶技巧です(笑)。

建前上は、すべての裁判官は、独立しているわけです。裁判官は、法と良心に照らして、みずからのよしと信じる判決を書くことができる。

建前上はそうです。欧米先進国と同じ。

ところが、特に、権力や統治、支配の根幹に関わる憲法訴訟、行政訴訟、刑事訴訟、そして原発訴訟(これは民事と行政の双方がある)のような裁判では、結局、ごく一部の良心的な裁判官がある意味覚悟の上で勇気ある判断を行うような場合を除けば、大多数は、「どこを切っても金太郎」の金太郎飴のような権力寄りの判決になる。

独立しているはずの裁判官が、あたかも中枢神経系をもつ多細胞生物を構成する一個の細胞のように、一糸乱れぬ対応をとる。最高裁長官を頂点とする最高裁事務総局がその司令塔であることは今や公然の秘密ですが、外部からは、どこに中枢があって、どのような形で統制が行われているのかが、そのシステムの構造が、とてもみえにくい。

しかも、多くの裁判官は、精神的「収容所」の囚人化してしまって、自分がそういう構造の中にいることすら見えなくなっている。

実際には、退官した裁判官や、ヴェテラン裁判官の中には、「大筋瀬木さんの分析したとおりだ」と言っている人も多いと聞きますし、裁判所当局によって無効化され悪用されたところの大きい「司法制度改革」に協力してしまった弁護士(これには、左派の、弁護士・元裁判官弁護士の一部も含まれています)を除けば、弁護士も、少なくともそのハイレベル層は、そうではないかと思います。

僕の分析についての反応は、学界もほぼ同様で、ことに民事訴訟法学界の長老たちの多くは「やはりそうだったのか」という感想です。法社会学者の多くも同様。また、東大で授業を受けたことのある民法学界の長老がわざわざ僕の講演会におみえになり、後から、専門誌に載せられた賛辞の文章をお送り下さったこともあります。

もっとも、中堅若手の裁判官の中には、「我々はちゃんとした裁判をしているし、雰囲気も自由」と反発する人もいます。

しかし、もし本当にそうなら、『ニッポンの裁判』で詳しく分析したような、およそほかの先進諸国には例のない惨憺たる裁判の現状は、どう説明するのでしょうか? あいつぐ裁判官の不祥事、ことに、2000年以降9件も起こっている目立った性的不祥事(実に裁判官300人に1人です)の数々は、どう説明するのでしょうか?

弁護士数激増にもかかわらず民事事件新受件数は逆に減少し、ことに複雑な大きい事件が減っている傾向、そして、やはり2000年度以降の3回の大規模アンケートで民事訴訟利用者の満足度が2割前後とやはり惨憺たる低さであることは、どう説明するのでしょうか?

2冊の新書で詳細に論じたこうした事柄についてのきちんとした反論がない限り、さっきのような反発に、およそ説得力はないと思います。

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