司法
最高裁がひそかに進める原発訴訟「封じ込め工作」の真相
日本の裁判所は「権力補完機構」なのか

司法権力の中枢であり、日本の奥の院ともいわれる最高裁判所の「闇」を描いた『黒い巨塔 最高裁判所』(瀬木比呂志著)が10月28日に刊行される。

本作では、自己承認と出世のラットレースの中で人生を翻弄されていく多数の司法エリートたちのリアルな人間模様が描かれているが、実は、この作品には、もうひとつの重要なテーマがある。最高裁判所がひそかに進める原発訴訟の「封じ込め工作」だ。

福島第一原発事故以後、稼働中の原発の運転を差し止める画期的な判決や仮処分が相次いでいるが、最高裁はこのような状況に危機感を覚え、なりふり構わぬ策を講じている、という。原発訴訟をめぐって、いま最高裁で何が起きているのか、瀬木さんに話を聞いた。

瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 1954年生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1979年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年、明治大学法科大学院専任教授に転身

最高裁の「思惑」

ーー前回のインタビューでは、最高裁判所の権力機構のカラクリと、そこで働く裁判官たちの生態についてうかがいました(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49800)。今回は『黒い巨塔 最高裁判所』のモチーフとなっている、最高裁内部で進行する原発訴訟封じ込め工作についてお聞きします。

『黒い巨塔 最高裁判所』の時代背景は1980年代後半ですが、2016年現在、最高裁内部でひそかに進められている原発訴訟封じ込め工作をルポルタージュした作品を読んでいるかのような感覚がありました。

瀬木 本作は純然たるフィクションですが、大飯・高浜原発訴訟(仮処分を含む)など、福島第一原発事故の後で多くの熾烈な原発訴訟が係争中である事実からインスパイアされた部分があることは、否定しません。

また、本作の初稿を書いている時にも、小説の中で描いているのと似たような事態が現実の世界で起こってくる、現実が僕が想像した事態を密着しながら追いかけてくるような、そんな時期もありました。

そのため、おっしゃるとおり、時代を過去に設定していながら、あたかも現在ないし近未来の日本を描いているような雰囲気も出てきたのだと思います。前回のインタビューでもお答えしたとおり、これは、SFが始め、やがては主流文学にも広まった文学形式である「パラレルワールド小説」でもあります。

ですから、この小説が、あたかも現代、あるいは近未来ディストピアを描いたかのような印象を読者に与えるとすれば、著者のもくろみは、その点では成功したといえると思っています。

本書の中で、原発訴訟と広い意味でそれに関わる裁判官たち、あるいは政治家やジャーナリストの暗躍がどう描かれているかについては、いわゆる「ネタバレ」になるため、詳しい説明は控えますが、私は、現在の最高裁、あるいは裁判所内部でも、この小説に描かれているのときわめてよく似た事態が進行している可能性はある、そうみています。

具体的にいうと、最高裁と最高裁事務総局は、現在では、間違いなく、電力会社や政権寄りの判決、決定(仮処分の場合)が出るように強力に裁判官を誘導しようという意図をもっているだろうし、また、例によって外部からは明確にはわからない巧妙な形で、そのような誘導を行っている、あるいは行う準備を進めているだろうと思います。

さらに、過去の事実や文献等から推測してみますと、以上と並行するような何らかの立法の動きが出てくることも、ありうると思います。

露骨すぎる人事異動

ーー私は、まさにそのように読みました。「ああ、原発訴訟はこのように統制され、このように決着させられてゆくのか……」といった、暗いリアリティーをひしひしと感じたのです。

でも、現実の世界では、2014年5月の大飯原発差止め判決、2015年4月と2016年3月の2つの高浜原発差止め仮処分(前の2つの判決、仮処分は樋口英明裁判長、最後の仮処分は山本善彦裁判長)と、稼働中の原発の運転を差し止める画期的な判決、仮処分が複数出ましたね。

日本の原発の構造は基本的に同じで、立地や技術上の問題点も共通していますから、こうした裁判に続く方向の裁判が、続々と出てくる可能性はないのでしょうか?

瀬木 まず、僕は、原発に関しては、推進派、反対派などといった二項対立的な図式に色分けして考えるべきではないと思っています。

唯一の問題は、「日本の原発が、まずは間違いなく安全であるといえるか。再び悲惨な事故を起こさないといえるか」という問いであり、この問いに明確にイエスといえるような状況ができているか否かだけが、問題だと思います。僕自身、元裁判官の学者ですから、そうした観点から、また、白紙の状態から、客観的に、この問題を考えてきました。

そういう検討を経ての、原発、原発行政、原発訴訟についての僕の分析の大筋は、この小説でも骨格として使っています。そして、これまでの分析、検討の結果、僕は、福島第一原発事故は、日本の原発に関するずさんな安全対策、危機管理の結果としての人災という側面が大きく、また、その原因究明も相当に不十分、にもかかわらずなし崩しの再稼働への動きが進んでいるというように、現在の状況をみています。

ですから、原発訴訟が今おっしゃったような方向に進めばいいとは僕も思いますが、客観的な予測としては、司法、政治、世論の方向が今のままだとすれば、より悲観的ですね。

その根拠を述べましょう。

 

第一に、福島第一原発事故後、今おっしゃった判決や決定がある一方で、高浜原発に関する第一の仮処分の取消し決定(2015年12月)など、福島第一原発事故以前の裁判の大勢、その枠組みに従う方向の判決や決定も、同じくらい出ているからです。

第二に、最高裁が、『ニッポンの裁判』でもふれた2012年1月の司法研修所での裁判官研究会から1年余り後の、2013年2月に行われた2回目の研究会では、強力に「国のエネルギー政策に司法が口をはさむべきではない。ことに仮処分については消極」という方向性を打ち出していると解されるからです。この研究会については、文書も入手しています。

第三に、原発訴訟については、過去にも、ことに判決の時期が近付いたときに、最高裁寄りの裁判長がその裁判所に異動になって事件を担当するといった動きが出ているという事実があります。

福島第一原発事故後はそれがいっそう露骨で、先の高浜原発差止め仮処分取消し決定に至っては、異動してきた3人の裁判官すべてが最高裁事務総局勤務の経験者なのですよ。これが偶然的なものだとしたら、宝くじ上位当選レヴェルの確率でしょうね(笑)。もう、120パーセントの露骨さです。