近代史
岸信介はなぜ東条英機との「抱き合い心中」に踏み切ったのか
戦争末期の不可解な行動

(前回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49972

岸の意外な提案

引きつづき、戦争末期の岸信介の不可解な行動について考えてみたい。彼が東条英機との“抱き合い心中”に踏み切った理由は何だったのだろうか。

岸の回顧によれば、早期終戦のためだ。サイパン陥落で日本全土の軍需工場が空襲対象になり、敗北は決定的になった。これ以上の無益な戦いはすべきでないと彼は主張したという。

GHQの尋問にも、岸は「東条がサイパン陥落後も戦争続行を望んだので、それに激しく反対した」と述べている。

ホントだろうか? いや、私は戦争の見通しについて岸が東条と争ったのを疑っているのではない。岸が軍需生産の惨憺たる状況から日本の敗北を予見していたことは疑いようがない。

しかし、だからといって早期終戦論者だったとは限らない。それだけ岸に終戦への熱意があったら、何らかの和平工作を進めた痕跡があるはずだが、今のところ見当たらない。

一方、岸が継戦論者(本土決戦を唱える人々)だったことを示唆する材料はいろいろある。前に紹介した護国同志会(聖戦完遂を目指す議員集団)の黒幕だったこともその一つだ。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49972

さらに、東条内閣打倒や終戦工作に活躍したことで知られる海軍少将・高木惣吉の回顧録にこんな場面が記されている。

1944(昭和19)年7月6日。約1ヵ月に及んだサイパン戦が日本軍守備隊の玉砕で終わる前日のことだった。高木は築地の待合で岸と対面した。岸が知人を介して「会いたい」と言ってきたからである。

当時、高木グループの倒閣工作は、大詰めを迎えていた。海軍大将の岡田啓介ら重臣たちの退陣勧告を東条が拒んだら、彼の車を交差点で待ち伏せ、拳銃で襲う手筈になっていた。テロ決行予定日は7月中旬だった。

高木の耳には、岸や海軍少将の石川信吾らが同じ長州の寺内寿一(陸軍大将)内閣樹立を画策しているという情報が入っていた。倒閣という点では同じ方向を向いているらしい。が、岸は予想外の話を切り出した。

「最近は東条の悪い面ばかり表面化している。しかし東条に代わりうる者はC(民間)になく、B(海軍)もできぬ。またA(陸軍)にもない。だとすれば東条に、何とかして国力を結集して戦争をやらせるほかないと思うから、ご助力願えまいか」

そう岸は述べたうえで(1)国民の納得する各界の第一人者を東条内閣に集める(2)軍需生産はABCを軍需省に一元化する(3)陸海軍の統帥を一元化する――の3点セットを提案し、高木の意見を求めた。

要するに内閣改造による延命策の打診である。

 
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