「戦後から80年」は本当に来るのか、を問う恐るべき一冊
「この道しかない」時が、一番危ない

なんのための科学技術か

小説なんて所詮、作り話。そんな風に思った時期があった。その認識を改めたのは、夫の書棚に並んでいた小説『漂砂のうたう』(第144回直木賞)を読んでから。内容の深さもさることながら、物語周辺に漂う不思議な空気感に魅せられて、木内昇さんの著作はすべて読んできた。

その木内さんが『光炎の人』上下2巻の新刊を出した。時は明治から昭和にかけて、徳島・池田町出身の若者が電機の技術を磨きながら技師として出世していく話で、前作『櫛挽道守』のような職人モノかと早合点した。

ここ最近きつい取材が続くので、木内ワールドで心を鎮めようという淡い期待は、しかし見事なまでに裏切られた。読後感は、打ちのめされた感じである。

上巻の終盤から、主人公がだんだん嫌な奴になっていく。

科学技術の発展は人々の幸せのためというテーゼが脇役によって打ち立てられるも、技術の道を邁進する主人公がそれを否定していく意外な展開。やがて彼は戦争の波に飲み込まれ取り込まれ……。最終章は息を飲むような緊迫感のうちに主人公の末路を目撃することになる。

科学技術は、戦場では人間を効率よく的確に殺戮する手段として用いられる。たった一発で都市を壊滅させる核兵器がまさにそうだった。著名な科学者たちは国家から潤沢な予算を与えられ、嬉々として開発に臨んだ。その先に広島と長崎、何十万という無辜の大量虐殺があった。

戦後、日本もまた原子力の「平和利用」に天文学的な予算と人員をつぎ込んできた。その末の「福島」である。廃炉はままならず、人々は命を奪われ故郷を追われ、多くがいまだ仮設暮らしのまま。何のための科学技術かと溜息が漏れる。本書の巻末に、この物語が原発事故の後から始まった連載だったとの記述を見て、なるほどと思った。

「狩られた」浮浪児たち

いつの世も、社会では弱い人、声なき人に様々なしわ寄せが集中する。戦争になれば一層、それは露骨な形で現れる。藤井常文著『戦争孤児と戦後児童保護の歴史』は敗戦後の戦争孤児を巡る信じがたい出来事を、徹底した資料分析と取材で明らかにしている。

先の大戦では、日本人だけで死者310万。当然、親を失った子どもたちも万単位でいた。行政による、孤児の「呼び名」の変遷が興味深い。戦時中、戦争孤児は「国児」「靖国の遺児」と呼ばれ、国が手厚く扱うとされた。「国児」は将来の戦力でもあったからだ。ところが敗戦後、「国児」は「孤児」となり、やがて「浮浪児」と呼ばれ冷遇されることになる。

上野駅近辺には浮浪児が集まり、毎日、餓えて誰かが死んだ。地下道には「浮浪児に食べ物をやらないでください」と貼り紙され、まるで害虫扱い。やがて「衛生上できるだけすみやかに処理」せよとの世論を受けて、都による「狩込」、つまり浮浪児を一網打尽にする強制収容が始まる。

著者が見つけた東京都民生局の公文書は、民間に「児童狩込」への協力を求めており、驚愕させられる。

狩込した孤児を適切に保護できる施設は不十分で、逃亡が繰り返された。脱出を防ぐため常に裸で置かれたり、東北の農村に労働力として売られたり、八丈島の施設に島流しにされた孤児もいた。八丈島の施設は、本土に戻ろうとした孤児に放火されて焼失するという幕切れを迎えている。

この児童福祉の不都合な歴史は、都の記録にはほとんど残されていない。豊洲市場ですら数年前の経緯が分からない有様だから、約70年も前ならなおさらだ。だからこそ本書の記録は貴重だ。

当時の都が「浮浪児」に行った実態調査では、今後について最も多かった回答が、豊かな生活よりも「学校へ行って勉強したい」だったという。著者はあとがきで、安保法の強行採決など昨今の時局を懸念すると書く。戦争は孤児を生む、だからこそ歯止めをかけねばならないと。

戦後はまだ続くのか、それとも戦前はもう始まっているのか。『「戦後80年」はあるのか』は8人の識者による講義録だが、中でも山室信一さんの論考が興味深い。

現在の東アジアの情勢は、120年前つまり日清戦争が始まる以前の状況に戻ったと山室さんは言う。

集団的自衛権を巡る議論では、ホルムズ海峡に説得力がなくなると、中国脅威論がさかんに持ち出された。山室さんは、戦後が戦前に変わる契機のひとつは、仮想敵国と軍事同盟の話が現れてくる時で、平和が戦争の口実にされると話す。

例えば日清戦争の開戦の詔勅には「東洋の平和」を守るためと明記されている。そういえば安保法案の議論でも、政権はやたら「平和と安全」を連呼していた。

満州事変を起こした石原莞爾は「満蒙問題の解決は日本の活くる唯一の途なり」として軍事行動に走った。山室さんは「この道しかない」というときこそ最も危ないと警鐘を鳴らす。思い当たることばかりで薄ら寒い。

科学の技術者も大学の研究者もマスコミも、時の権力がちらつかす甘い話には気をつけたほうがいい。

『週刊現代』2016年11月5日号より