広島カープ弱小時代を支えた「二人のエース」
安仁屋宗八と外木場義郎

取材を断られピンチに

2016年9月10日、広島東洋カープは25年ぶり7回目のセントラルリーグ優勝を果たしました。最初のリーグ制覇は1975年です。41年前の出来事でした。その時期のカープを支えた投手の安仁屋宗八さんと外木場義郎さんが、このたび上梓した『二人のエース 広島カープ弱小時代を支えた男たち』の主人公になります。

2年前の2014年10月、講談社から『君は山口高志を見たか 伝説の剛速球投手』が出版されました。書店に並べられた後、私自身のスポーツライティングをさらに進めたく、編集の責任者だった鈴木章一さんに今後の作品に関して相談をしました。

おりしも、鈴木さんが二度にわたって編集長を務めた週刊現代が、『熱討スタジアム』という鼎談形式のコーナーで、二リーグ制下プロで唯一無安打無得点試合を3回(うち1回は完全試合)成し遂げた外木場さんを取り上げました。

その鼎談には安仁屋さんが参加しました。鈴木さんが「2人を中心に、75年の初優勝までを追った本を書いてみませんか」と提案をしてくれました。新刊本の依頼は私にとってはとてもうれしいことであり、引き受けさせていただきました。

ところが、軸になるお二人に1年半ほどの時間をかけてお願いしたのですが、お二人とも取材をお断りになりました。

72歳になられた安仁屋さんは、面会の時間を作って下さった上、理由を説明されました。

「私には現役時代から世話になっているカープ担当だった元記者が何人かいます。彼らは私の本を書きたがっている。それがあるのに、あなたに先に書いてもらうわけにはいきません」

 

71歳の外木場さんは取材を依頼する段階で、私の側に不備がありました。

本来なら、お二人の取材ができなければ、本として日の目を見ない可能性が高かったのですが、鈴木さんや担当編集者の協力により、無事、刊行に至りました。その背景にあったのは、みなさんが力を貸して下さった上に成り立った周辺取材と資料収集です。

贅沢な周辺取材

長嶋茂雄さん、王貞治さんは特別に時間を作って下さり、無報酬の上、一対一でお話を聞かせて下さりました。

古葉竹識さん、衣笠祥雄さんをはじめ当時のチームメイトや対戦相手だった方々も同じように快く取材に応じて下さいました。

古い文献に関してもコメントと同様、入手することができました。

まったくの偶然ではありますが、最近、長く懇意にしているプロ野球の球団首脳の1人から、私の本のスタイルを的確に批評されたことがあります。

「鎮(しずめ)の本は資料が多く、中心人物の話が少ないね」

資料にある数字や記録は説得力があります。スポーツ新聞の世界で育った私にとって、それらは文章を作る上での骨格でした。叙情的な表現は当然ながら、知識として、資料として読者の方々に残らないと意味がない。後世に伝えられてゆくことが、その数字や記録を作った取材対象者に対しての敬意であり、報恩だと考えています。

また、周辺取材を多くすることで、その対象がはっきりと浮かび上がる、つまり客観視できるようになります。

ラグビートップリーグの神戸製鋼コベルコスティーラーズ・ゼネラルマネジャーの平尾誠二さんに教えられたことがあります。

「人間は評価を直接言われるよりも、人づてに言われる方が効く」

それは言葉を文字に変えても同じなのではないか、と思っています。現役時代から「ミスター・ラグビー」と呼ばれ、神戸製鋼の現場最高責任者だった彼の言葉を心に留め、私は周りの証言を大切にしていますし、文中できるだけ使うようにしています。

今回は、結果的に私が大切にしている資料性と客観性が特に生きました。お二人を包む生のコメントがなければ、この本は誕生しませんでした。

この本に携わったすべての人々に感謝を捧げると同時に、書店で手に取っていただければ、著者としてこれ以上の幸せはありません。

ただ速く、ただ真っ直ぐに。そして太く短く。阪急ブレーブスの黄金時代を支えた天才投手の栄光、そして悲哀の物語。

読書人の雑誌「本」2016年11月号より