エンタメ

銀行員と小説家、まったく違う職業の意外な仕事の共通点

柴崎竜人「僕が小説を書ける理由」

最近多い二つの質問

天気予報を毎朝決まった時間に見ている。

予報はたいして当たらないのに、それでも欠かさずに毎朝見ている。シリーズ小説『三軒茶屋星座館』を書き終えたのは、風の穏やかな晴れた日の午後だった。気象予報士によれば、その午後は土砂降りの台風のはずだった。

この小説は都会の裏路地にある小さなプラネタリウムを舞台にした全4巻の物語だ。原稿用紙に換算すると約二千枚、着想から完成まで4年にわたる。僕のこれまでの作品のなかでももっとも長い小説になる。

「どうやって、物語を考えているんですか?」

と、本作を書くようになってから、いろいろな方に質問されることになった。なぜか男性から訊かれることが多い気がする。

 

この小説では主人公の家族問題と、彼の過去にまつわる「謎」がストーリーの主軸になっているのだけれど、そのミステリーは季節ごとの星座に秘められた「ギリシャ神話」によって解かれる仕掛けになっている。言うまでもなく、ギリシャ神話はそれ自体がひとつの長大な物語だ。

つまり、「物語のミステリーを、別の物語が解いていく」ことになる。きっと質問される方は、その構造の作り方に興味を持たれるのだと思う。

ただ残念ながら、どうやって考えているかを僕はうまく言葉で説明できない。自分で書いているくせに。僕が答えにまごついていると、相手はなんだか申し訳なさそうな顔をして、やがて質問を変えてくれる。

「ところで、どうして銀行員を辞めて小説家になったんですか?」

これは以前からよく受ける質問だ。銀行業と小説業との間にはなんの関連もないように見えるからだろう。でもこの質問にも、やはり僕はうまく答えられない。答えは確かにあるのだけれど、言葉にするのがとても難しいのだ。

結局、僕は相手の期待になにも応えられず、お互いに曖昧な笑顔を浮かべたまま、次に来る台風の話なんかをして「それじゃあ」と別れることになる。だから僕の生活に天気予報は欠かせない。

天気予報が必要なワケ

しかし最近になって、うまく答えられないこの二つの質問が、お互いに深く関わっているような気がしてきた。

というのも銀行が業務で取扱うのは現金であり、収支の計画であり、これ以上ないまでの社会の「現実」だからだ。一方で、小説家が扱うのは、その現実を越えた先にある個人の「物語」なのだ。

実際、僕は小説を書き出す前に、物語の収支計画とも呼べるストーリーのプロットを綿密に作成する。それは予定通りに書き進めれば実現可能な、かなり現実的なプロットだ。

でもいざ執筆に入ると、計画通りには書き進めない。せっかく作ったプロットから、わざわざ脱線していく。

なぜなら現実を越えて物語に到達するには、計画から逸脱して進んでいくしか方法がないからだ。きちんと迷子になるために、事前に正確な地図を描いておくようなものかもしれない。そして、そのように逸脱を重ねて行き着いた物語の世界では、目を擦りたくなるような不思議な出来事が起こることになる。

川が渦を巻くような。銀馬が空を飛ぶような。

あるいは、出会わないはずの二人が、出会うような。

『三軒茶屋星座館』シリーズでは当初、それこそ監査後の決算書のように頑丈なプロットを作成していた。現実が強固であればあるほど、物語は飛躍するからだ。そしていったん書き出してからは、迷うことなくルートから逸脱し続けた。

主人公と彼の家族が、必ず彼らの物語の結末にたどり着けることだけを信じて。それがこのシリーズ小説を書くにあたって守ってきた唯一のルールであり、この物語の作り方だった気がする。

……などと書きながらふと自分の人生を振り返ってみれば、銀行を辞め、職を転々とし、結局いま小説を書いている自分の来歴もまた、学生時代の将来像から逸脱したものだ。なんでこんなことになってるんだろう?と人生の不思議を思わずにはいられない。

でも、きっと僕だけじゃない。誰だって(もちろんあなたも)、現実の連続である人生を、ひとつの物語として振り返ったときには、不思議や奇跡から目を逸らしたまま人に語ることはできないはずだ。

そのままでは、人に信じてもらえないことだってあるだろう。だからそのときのために、天気予報は見ておくといい。曖昧な笑顔もポケットに用意して。

読書人の雑誌「本」2016年11月号より