カルタゴの名将ハンニバル・バルカ〔PHOTO〕gettyimages
読書人の雑誌「本」
まぼろしの帝国「カルタゴ」の謎~ローマ史に並ぶ、もう一つの世界史
かつて地中海に覇を唱えた大国

なぜカルタゴは栄えたのか

「ヨーロッパ覇権以前」という概念が提起されて久しい。

現代の「グローバル」な世界は大航海時代以降のヨーロッパ諸国による世界席巻によって形成されたように見えて、実は、それ以前にインド洋で、ユーラシア大陸で、既に張りめぐらされていた別の主体による地域間のネットワークを最終的に束ねたものにすぎない、との大胆な、しかし説得力のある仮説のことである。

古代地中海世界についても「ローマ覇権以前」を考えるとすれば、そのローマ帝国ではない別の主体とは何か。西地中海についてはカルタゴ海上「帝国」を措いて他にはない。

 

しかもカルタゴ「帝国」は本来東地中海のフェニキア本土からのフェニキア人の西方への植民によって誕生したのであり、全地中海的なフェニキア人の通商活動を背景としている。

一つの構造体としての地中海世界はローマ以前にも、このフェニキア・カルタゴという糸によって貫かれる形で既に準備されていたのではないか――。

このたび講談社学術文庫として刊行された『興亡の世界史 通商国家カルタゴ』(佐藤育子氏との共著)を執筆している間(原著は2009年9月刊行)感じ続けていた問題意識は、7年後の今、振り返って言葉にしてみれば結局このようなことになる。

カルタゴと並ぶ私のもう一つの研究対象は、カルタゴ市(これは現在のチュニジアの首都チュニス市のごく近郊にあった)の後背地に広がっていたヌミディア王国という古代国家であるが、そのヌミディアの首都であったキルタ―ー現在のアルジェリアのコンスタンティーヌ市――を1980年代に初めて訪れた時、荒涼たる乾燥帯を望む峡谷の上に位置するこの都市の景観に圧倒されると同時に、古代にこのような北アフリカ内陸部に確固たる都市を出現させた諸力とは何だったろうかと思いめぐらさずにはいられなかった。

その力の一つがフェニキア・カルタゴとつながった北アフリカの古代の商業網であることは明白である。キルタにはカルタゴ市本体にもある特異な宗教空間、トフェト(「幼児犠牲」がそこで行われたとも言われる)が存在したことが確認されている。

その同じ力はイベリア半島南部にカディスやマラガのような港湾都市を連ねさせ、現在も鉱山地帯として有名なリオ・ティント流域を開発させ、サルデーニャを、コルシカを、マルタを、そしてシチリア島を、前八世紀にさかのぼって海洋拠点化させた。