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来年の大河のヒロイン井伊直虎はリアル「もののけ姫」だった!

戦国時代を生きた女城主の数奇な運命

二つの顔

「井伊直虎」という人物をご存知であろうか?

平成29(2017)年度NHK大河ドラマのヒロインとして、今、にわかに注目を集めている戦国時代を生きた女性である。そう、「直虎」という厳めしい名前に反して、彼女は女性なのだ。直虎には、二つの顔があったといわれている。

一つは、僧侶としての顔である。彼女は、遠江国井伊谷にある禅宗寺院・龍潭寺の僧侶、「次郎法師」であった。そして、もう一つは、遠江の名門井伊氏の惣領井伊直盛の一人娘であり、「女領主」(女城主)という顔である。

彼女の出生年はわかっていないが、没年はわかっている。天正10(1582)年――武田勝頼、織田信長が没した年と一緒。まさに、戦国時代の真っ只中を生きた女性である。とくに、彼女が生まれ育った時期は、中世以来の名門であった彼女の属した一族・遠江井伊氏が、急速に弱体化していた時期である。

駿府を拠点とする有力戦国大名今川氏の傘下にくだり、惣領の井伊直宗は、今川氏の先陣として戦って討死。その兄弟である直満・直義は、今川氏により謀反の嫌疑をかけられ処刑された。

その後、今川義元が尾張の織田信長に討たれた桶狭間の合戦においては、井伊家の当主直盛が戦死。その養子として井伊家を相続していた井伊直親が、今川氏の重臣朝比奈泰朝によって殺害されるという災難つづきである。

とにかく、直虎が生まれ育った時期は、井伊氏にとって悲運が続いていた。そうしたなかで、彼女は「女領主」となる運命を背負ったのだ。

大学図書館に勤務しているせいか、どうしても、右のような女性を目の当たりにすると、私は、学術的な概念や用語をもって彼女を分析してみたくなってしまう。ここでは、「魔女」と「悪党」という二つの概念から、彼女を考えてみたい。

忘れ去られた女城主

「魔女」とは、ヨーロッパ諸国において広くみられた俗信で、一般的には、妖術を使う女性のことを指す。

「魔女」は、『魔女の宅急便』などで、日本人にもなじみの深いものとなっているが、この「魔女」という概念には、複雑で重層的な歴史がある。15~17世紀にかけて、多くの人びとが「魔女」という嫌疑を受け、裁判にかけられて、処罰された。いわゆる「魔女狩り」、「魔女裁判」のことである。

「魔女」は、悪魔と交わり特別な力をもつ者であり、人や家畜に害を及ぼすと考えられ、民衆から怖れられていたのである。

有名な事件としては、1692年、イギリス領北アメリカのマサチューセッツ・セイラム村で起きた魔女裁判で、200名近くの人びとが「魔女」として告発され、うち19名が処刑され、6名が獄死している。

上山安敏氏によれば、「魔女の問題は、ヨーロッパの倫理の中にある罪の意識と深くかかわっているように思える」(『魔女とキリスト教』講談社学術文庫、1998年、11頁)という。戦場に生きた、あの有名なジャンヌダルクも、「魔女裁判」で有罪となり、処刑されている。欧米では、「魔女」は、とても重要な概念であった。

では、話を16世紀、日本の遠江に戻そう。なぜ直虎は、ジャンヌダルクのように、「魔女」とみなされなかったのだろうか。

もちろん、キリスト教が普及していなかった日本では、「魔女」の概念は、みられない。しかしながら、直虎が、常人と異なる立場にあったことは、誰がみても明らかである。

彼女は、「次郎法師」として宗教的な力を身につけ、一方で、「直虎」として戦国の領主として「戦士」(直虎が実際に武器をもって戦ったかどうかはわからないが……)という立場にあった。

当時の西洋社会からすれば、彼女の存在は、「魔女」とみなされてもおかしくない。しかしながら、実際のところ、直虎は「魔女」と糾弾されることもなければ、「聖女」として崇拝されることもない。その特異な業績さえ後の歴史のなかでは忘れ去られてしまった。

彼女の人生は、その数奇さとは裏腹に、日本史のなかにおいては、とても静かで、クールである。このあたりに、日本と西洋の歴史的・文化的な差異を見出していくことも可能なのかもしれない。