歌舞伎

歌舞伎の秋が熱い!愛之助と海老蔵の競作、忠臣蔵完全上演、芝翫襲名

平成歌舞伎、終わりの始まり

中村橋之助が芝翫を襲名し、愛之助と海老蔵が五右衛門を競作、国立劇場では30年ぶりの『仮名手本忠臣蔵』の完全通し上演と、歌舞伎の秋は充実している。

久々の「忠臣蔵」完全上演

歌舞伎の名作中の名作として、どのガイドブックでも紹介されているのが、『仮名手本忠臣蔵』だ。長い作品なので、そう頻繁には上演されず、歌舞伎座でも3年から5年に一度。前回は2013年の12月だった。

それから3年が過ぎて、今年は国立劇場で開場50周年記念として『仮名手本忠臣蔵』が「全段完全通し上演」と銘打たれて10月、11月、12月に上演される。これは3ヵ月間、同じものを毎日上演するのではない。

「長い芝居」と書いたが、『仮名手本忠臣蔵』は全部で11段(「段」と呼ぶが、ようするに「全11話」ということ)あり、10月は序から4段まで、11月が5から7段、12月が8から11段と分けて上演される。3回行かなければ、全部見たことにならないのだ。

歌舞伎座で『仮名手本忠臣蔵』を上演する場合は、昼の部・夜の部に分けるので、2回ですむ。だが歌舞伎座での「通し上演」は、2、8、9、10段が省略される。今回の国立劇場が「全段完全通し」で、歌舞伎座のは「不完全」ということである。

歌舞伎座で省かれる8・9段目は、そこだけを上演することがある。同様に5・6段目、7段目も単独で上演される機会が多い。

残る2段目と10段目は、歌舞伎座では上演されない。このうち2段目は平成中村座で2008年に上演されたが、その時も10段目はなかった。東京で10段目が上演されるのは1986年以来30年ぶりとなる。10段目は、私もまだ見ていない。

歌舞伎座では2・10段目のように段ごと省かれるものもあれば、段の中の「場」も省かれるものがあり、いわば独自の歌舞伎座バージョンとして上演されている。

その歌舞伎座バージョンもまた、誰が主演するかによって、そのたびに細部は異なる。オペラは、新演出で時代設定を現代にするなどの改変はしても、音楽についてはモーツァルトやワーグナーのスコアを変えてはいけないという大原則があるが、歌舞伎は融通無碍なのだ。「戯曲」についての意識がヨーロッパと日本とでは違うのだろう。

歌舞伎は何年も見続けていると、そういう細かい差異を見抜けるようになり、ああだこうだと言うのが楽しみになってくるわけだ。

そういうファンには、今回の国立劇場での「全段完全通し」は、またとない機会となる。次にやるのはまた30年後かもしれないので、50歳以上の人はそれまで生きているかどうか分からない。人生最後のチャンスかもしれない。そのせいか、普段の国立劇場は空いているのだが、いつになく席は埋まっていた。

 

硬直化した国立劇場の座組

前回の国立劇場での『仮名手本忠臣蔵』全段通しは30年前、開場20周年の1986年だった。

当時の幹部俳優総出演で、13代目片岡仁左衛門、17代目中村勘三郎、2代目尾上松緑(の予定だったが病気で休演)、6代目中村歌右衛門、7代目尾上梅幸、17代目市村羽左衛門ら昭和戦後の名優が最後に揃った公演だった。30年が過ぎて、今は彼らの息子たちが大幹部となっている。

現在の歌舞伎界は、日本俳優協会の役職で示すと、会長が坂田藤十郎、理事長が尾上菊五郎、専務理事が中村吉右衛門、財務理事が中村梅玉、常任理事が片岡仁左衛門、坂東玉三郎、松本幸四郎で彼らが大幹部である。

だが、今回の『仮名手本忠臣蔵』の完全通し上演に出演するのは、幸四郎、吉右衛門、菊五郎、梅玉の4人だけなので、いまひとつ華やかさにかける。少なくとも、仁左衛門と玉三郎が加わらなければ幹部総出演にならない。

こうなったのは、予算の関係なのか、松竹との力関係か、役者との関係のせいなのかは分からない。

現在、国立劇場の歌舞伎の本公演は、年に5ヵ月、10、11、12、1、3月だ。出演する俳優も決まっており、10月から1月は、菊五郎、幸四郎、吉右衛門、梅玉の4人が交互にひとりずつ座頭を勤める。3月は年によって異なり、仁左衛門が座頭を勤めたこともあったが、定着しなかった。玉三郎は、もう何年も出ていない。

今年の『仮名手本忠臣蔵』は大作なので幹部1人では座組ができないので、2人ずつ出る。10月は幸四郎と梅玉、11月は菊五郎と吉右衛門、12月が再び幸四郎と梅玉だ。その後、1月は例年通り、菊五郎が座頭の公演、そして3月は吉右衛門が座頭となっての公演が予定されている。

つまり今年度は4人とも2回ずつ出るのだ。まさに、お役所的平等主義だ。悪いとは言わないが、そこまで律儀に平等にしなければならないのものなのだろうか。

国立劇場はよく言えば、座組が安定しているが、悪く言えば硬直している。菊五郎世代はもう70歳を越えている。今後何年もこの体制が続くと思えない。現に、この世代で国立劇場でも1ヵ月を任されていた團十郎はもういないのだ。

次のことを誰か考えているのだろうか。