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「オライオン飛行」壮大な歴史恋愛ミステリーを、佐藤優が読む
異色対談 髙樹のぶ子×佐藤優

オライオン飛行』は、1936年に九州の山中に墜落したフランス人飛行家アンドレ・ジャピーに着想を得て、生まれた作品である。重傷を負ったジャピーは九州帝国大学医学部附属病院に入院して手厚い治療を受け、やがて帰国。

恋愛小説の名手・髙樹のぶ子氏はその史実をもとに、ジャピーと彼の専属看護婦・18歳の桐谷久美子とのせつなくも激しい恋愛、そしてふたりの謎を現代に追う人々の物語を描いた。そもそもジャピーとは何者だったのか? 佐藤優氏が、著者との対話を通して独自の視点から読み解く。

第二次大戦前夜の秘められた恋

佐藤 初めまして。この作品を途中まで読んだところで、ウンベルト・エーコの『プラハの墓地』が思い浮かびました。基本的には史実に基づいているけれども、創造した人物を入れることで物語のゲシュタルトが全く変わってしまう。

第二次世界大戦を目前にした1930年代、飛行機というものに秘められたいろいろな複雑な思いが、登場人物たちの愛情とパラレルになっている感じがして、とても面白かったです。

髙樹 ありがとうございます。

オライオン飛行』の着想を得たのは、フランスから帰国する深夜便でした。周りが寝静まっているときに、降りてきたというか、思いついたのです。

私は飛行機に乗るのが好きなのです。乗っていると、国や民族や、ある意味では言葉からも離脱して、自分の重力からも自由になって浮かび上がっている状態の中で突然何かが降ってくる感覚に襲われます。

ふだんは空を地上から見ているけれども、飛行機に乗っているときには、地上から遠く離れたところからの視点も手に入るわけですよね。

空の上にいると、自分は何のよりどころもない一個の小さな命に過ぎず、ケシ粒みたいなものだということをあらためて感じるのです。すごく不安になるけれども、それでは何をよりどころに自分が生きていられるのかというと、やはり愛ということかと思うのです。

時代とともに国が大きく変わっていき、足元がグラグラ揺れる中でも、人間は何かを愛さなければいられない。愛というのは、男女の恋愛もあるけれども、家族への愛や、民族への愛、国家への愛、あるいは人類愛、規模も種類もさまざまだけれども、自分の中にどうにもならないものとして存在するパッションというか情念としての愛。よりどころになるのはそういうものしかない気がします。

私はこの作品でそれを、1930年代の許されぬ男女の恋愛という形で書きました。

父は特攻隊の生き残りだった

髙樹 飛行機といえば、私の父は実は特攻隊の生き残りなんです。

佐藤 海軍ですか、陸軍ですか。

髙樹 海軍です。

佐藤 どこの部隊におられたんですか。

髙樹 第三陵隊の隊長だったと聞いています。終戦のときには郡山の航空隊で教官をしていました。

佐藤 じゃあ、「赤トンボ」と呼ばれた九三式中間練習機に乗っていたのですね。

髙樹 はい。実は父は、1945年の8月18日に出撃する予定だったのです。私はすでに母のおなかの中にいて、翌年の4月に生まれたのですが、終戦が数日遅ければ、父のいない子になっていたかもしれません。父は私が28歳のときに亡くなりましたけれども、父なりに戦後もずっと飛行を続けていまして、私はそんな父を見て育ちました。

 

オライオン飛行』のアンドレ・ジャピーは、実在の人物で、著名なフランスの飛行家です。私が生まれる10年前の1936年、パリから東京の100時間懸賞飛行の途中、ゴールを目前に、私の住む福岡と佐賀の境にある背振山の山中に墜落したのです。重傷を負ったジャピーは地元の人々に救出され、九州帝国大学医学部の病院で治療を受け、帰国したということが美談として当時大きく報じられ、今でも伝えられています。

しかし、その美談もひっくり返して裏側から見ると、いろいろな面が見えてくる。小説家としては、その裏にあるものは何かということに惹かれたのです。

佐藤 行間からそれを感じました。

髙樹 当時、フランス政府は、極東アジアに定期航路を開拓しようとしていて、そのこともあって多額の賞金を懸けて民間の飛行家たちに挑戦させたらしいのです。それ以外にも懸賞飛行はあちこちで行われていました。アンドレはその常連で、いわば英雄だったのですね。かつての大航海時代と同じような、空にロマンがあった時代のように私は感じるのですが、どうでしょう。

アンドレ・ジャピーが事故当時乗っていたのはコードロン・シムーン機というフランスの飛行機です。その頃、日本の神風号が飛行を始めます。フランスと日本は、おそらく競争し合っていたのですね。

佐藤さんも飛行機がお好きだと聞きました。

佐藤 それほど詳しくありませんが、神風号というとその後、九七式司令部偵察機になった飛行機だ、ということくらいは気付きます。

神風号はシムーン機と比べると一世代違う、戦争を目的とした偵察機です。これに対してシムーン機は軍用に限られているわけではない。シムーン機のほうがエロティックで、冒険心があるんです。神風号は金属製ですがシムーン機は木製です。イギリスのモスキートなどもそうですが、木製機というのは、レーダーにひっかかりにくい。だから第二次世界大戦中は、ドイツを攻撃するのに使われたんです。こう言う細かい話が私は好きなんですね(笑)。

髙樹 シムーン機は、本来、空に溶け込む青に塗られているのですが、ジャピーは出発前にあえて真っ赤に塗り替えて飛んできたのです。彼にとっての飛行機は戦闘とは無縁のもの、そんな宣言だったのかもしれません。そんなところにも彼の飛行機に対する思いが表れているのではないかと思うのです。

当時の記録を見ると、機体の残骸のほとんどを、フランス側は、集めて持って帰ったらしいのです。ただ尾翼の一部だと思いますが、それは日本に残していったんですね。

佐藤 技術を盗られても危なくない部分だけ残していったんですね。それはそうでしょうね。シムーン機には、当時のフランス航空技術の最大の秘密が詰まっていたわけですから。

日本軍は仏印への進駐を考えていましたから、そこでぶつかる可能性のあるフランスの飛行機に関する情報は、たぶん欲しかったでしょうね。当時のフランス機は、おそらくエンジンがすごく優れていたと思うんです。日本の飛行機は、機体の技術は結構いいのですが、エンジンの能力がついていっていなかった。だいたいはアメリカから持ってきたエンジンをコピーしていたのです。

フランスでは民間を競争させることで航空機の技術が発展しますが、ソ連を見ると、また事情は異なります。ニコライ・ポリカルポフという有名な帝政ロシア時代からの航空技師がいました。彼が設計した、I-15、I-16という戦闘機があります。ノモンハン事件で有名な戦闘機です。ポリカルポフは一九二九年に逮捕され、刑務所に入れられますが、まもなく刑務所内に他のエンジニアも集めて設計局がつくられます。

ソ連政府に殺すぞと脅されながら戦闘機をつくるわけです。結局ポリカルポフは生き残って外に出られたのですが。フランスでは賞金が懸かっていたけれども、ソ連では文字どおり命がかかっていたわけです。

日本の航空機開発は、フランスとソ連の間ぐらいの感じで行われていたのではないでしょうか。この小説にはそんな当時の時代の雰囲気がにじんでいますね。

小説のモチーフとして飛行機とともに興味をそそられるのは、現在と過去をつなぐ物語の鍵となる懐中時計です。時計の裏蓋に施された銀の象眼とかニワトリの細工とか。裏蓋の内側に入っているウォッチペーパーと呼ばれる、数字や文字が細かく書き込まれた紙とか。

髙樹 ウォッチペーパーというものは、たいていはオーバーホールの時期や修理箇所、ごくまれにプレゼント相手への詩文などが記されます。懐中時計とはいろいろな謎を埋め込むことができるものなのですね。

ところで、佐藤さんは腕時計をされないそうですね。

佐藤 外交官時代にしなくなったんです。ソ連の日本大使館に勤務しているとき懐中時計を持つ習慣がついて、それからはいつも懐中時計です。懐中時計だと人と会う時に机に置いておいても違和感がないでしょう。時計を腕から外して置くと、あなたとの時間はできるだけ短くしたいという雰囲気が出てしまいますよね。

髙樹 アンドレ・ジャピーが出たジャピー一族は、17世紀に勃興し、今もプジョーなどフランスのさまざまな産業を陰で牛耳っています。スイスの時計は世界的に有名ですが、フランスからその技術を伝えたのもジャピー家なのです。そういうこともあって時計を物語の重要な小道具に使ったのです。

代々、職人気質の一族の中にあらわれた異端児、それが飛行家となったアンドレではないか、と思います。