宗教
エホバの証人事件で息子の輸血を拒否した父親と、演じたたけしの距離
ビートたけしが演じた戦後ニッポン(4)

俳優・ビートたけしはこれまで多くの「昭和の大事件」の当事者を演じてきた。大久保清、千石剛賢、田岡一雄、金嬉老、東条英機。さらには、3億円強奪事件の犯人、豊田商事会長刺殺事件の犯人、エホバの証人輸血拒否事件で死亡した男児の父親……。

そうした現代史とたけしの半生を重ね合わせながら、戦後の日本社会を考察する好評連載第4回。今回は、「エホバの証人」事件で息子の輸血を拒否した父親とたけしの「距離」に着目した。

第1回~第3回はこちらから(http://gendai.ismedia.jp/list/author/masatakakondo

たけし、市井の人間を演じる

1984年、ビートたけしは、週刊誌『朝日ジャーナル』の「若者たちの神々」という連載対談に登場した。このころのたけしは、政治や社会問題などへの発言も増え、著書も出すようになっていた。対談では同誌編集長・筑紫哲也がそれを踏まえて

「あなたの書いているものは、自分たちの影響力よりはるかに強いと思う。教祖になってしまうのではないか」

と訊ねると、《だから、宗教団体にするといちばん儲かるといわれてる。あの本は三〇〇〇円で売るべきだと。普通の値段だとまずいんで、高くして経典とすれば売れるって》と返している(筑紫哲也ほか『若者たちの神々Ⅰ』新潮文庫、1987年)。

文字どおり若者の教祖となったたけしは、宗教や信仰をテーマにした映像作品にもたびたび出演している。

1985年にTBSの単発ドラマ『イエスの方舟』(八木康夫制作、池端俊策脚本)で教祖(モデルは実在の宗教団体「イエスの方舟」の主宰者・千石剛賢)を演じたのをはじめ、1993年には、自著の同名小説(1990年刊)を原作とする映画『教祖誕生』(天間敏広監督)に新興宗教の教団幹部の役で出演した。

 

『教祖誕生』と同年、1993年には、やはり宗教をとりあげたTBSの単発ドラマ『説得――エホバの証人と輸血拒否事件』にも出演している(3月22日放送)。先の2作が宗教団体に焦点を絞ったものだったのに対して、『説得』では個人の信仰がテーマとなった。

『説得』のモデルとなったのは、前回とりあげた豊田商事会長刺殺事件と同月、1985年6月6日に川崎市で実際に起こった事件である(ただしドラマのなかでは日付は変えられている)。この日、小学5年生の男児が自転車に乗っていてダンプカーと接触、両足などを骨折して同市内の病院に救急搬送された。

医師の指示で手術を受けることになったが、駆けつけた両親が、自分たち家族の信仰するキリスト教の一宗派「エホバの証人」の教義を理由に輸血を拒否する。このため医師らはほとんど手の施しようがなく、男児はけっきょく出血多量で死亡した。

このドラマでたけしは、事故に遭った男児の父親を演じている。その役柄はたけしにとってはやや異質といえる。彼がドラマや映画で演じてきた人物の多くは、暴力のイメージがつきまとうが、本作の父親にはそれが一切ないからだ。そもそもまったくの市井の人物(元サラリーマンで、事件当時は小さな書店を経営していた)という役どころからして、たけしには珍しい。

ただ、テレビドラマには難しいテーマをとりあげた点では、ほかのたけし主演の実録ドラマと同じだ。先述のとおり、たけしはこれ以前に『イエスの方舟』で教祖を演じているが、そこで焦点となった宗教と家族の問題は、形を変えて『説得』に引き継がれているともいえる。

子を見殺しにする親

このドラマは、TBSのプロデューサー八木康夫が、ノンフィクションライターの大泉実成の同名の著書(現代書館、1988年)を原作に企画したものである。

くだんの事件に際してマスコミでは、病院に運ばれた男児が「生きたい」と訴えたと報じられ、そう叫ぶ子供をなぜ救うことができなかったのかという批判が渦巻くことになる。

当時大学院生だった大泉は、少年がなぜ「生きたい」と叫んだのか、そしてその意志はどこにあったのかを知りたくて、関係者たちのなかに飛びこんでいったという。

大泉が真相を探るためにとった手段は、男児の父親が出入りしていたエホバの証人の集会所に自らも通い、聖書研究に参加しながら父親と接触するというものだった。いわば潜入ルポというわけだが、しかし大泉は、たとえば鎌田慧がトヨタ自動車の工場に季節工として潜りこんで書いた『自動車絶望工場』のように告発のためにこの手段を選んだわけではない。

そもそも大泉がこの事件に惹きつけられた理由は、何よりもまず、彼自身が少年時代にエホバの証人の信者だったからだ。それゆえ本書の取材においても、あくまで父親に寄り添うように、その心情を探ろうとしている。

ただ、こうした手法で書かれたノンフィクションをそのままドラマにはしにくいはずだ。それに加え、先述したとおりテーマ的にもハードな問題をはらんでいる。事実、脚本を担当した山元清多は、八木康夫から渡された原作を読み、その新しいスタイルに魅かれつつも、テレビドラマにするとなると正直腰が引けたという。

《舞台や映画ならともかく、お茶の間の視聴者に、いかなる理由があるにしろ輸血すれば助かったはずの子供に輸血させないで言わば見殺しにしてしまうという親の選択が説得力を持つのだろうか?》

というのがその理由であった(日本脚本家連盟編『テレビドラマ代表作選集 1994年版』日本脚本家連盟、1994年)。けっきょく山元は、台本を書き始めるまでに、依頼されてから2年近く躊躇の時間をすごしたという。