国際・外交 国家・民族 メディア・マスコミ

ゼロからわかる「イスラーム国」が世界的な一大現象になるまで

全世界に拡散する「超国家」の「思想」
末近 浩太 プロフィール

このように、ISのルーツを考えるとき、イデオロギー的にはアル=カーイダやそれ以前のイスラーム過激派の諸組織にまで遡ることができるものの、「組織」として見た場合には、米国が主導したイラク戦争とその後の占領統治の失敗に見ることができる。

トランプ候補は、冒頭で紹介した発言において、2003年のイラク戦争を「過ち」であったと厳しく批判し、それが後のISの出現を含む、今日の中東の混乱の一因となったと述べている。この認識はおそらく間違っていない(筆者を含む多くの中東研究者も共有している)。

しかし、イラク戦争を主導したのが当時の共和党ブッシュ政権であった事実を思い起こせば、民主党批判のレトリックとしては的を射ていないように思われる。

〔PHOTO〕gettyimages

「国家」としてのIS──誰でも国民になれる

ISは、モースルを攻略した後、イラクとシリアの両国にまたがる「国家」の樹立を宣言し、シリア北東部の都市ラッカを「首都」とする広大な実効支配地域を手に入れた。

なぜ、過激派の「組織」に過ぎないISが「国家」になり得たのか。むろん、その「国家」は国民国家ではなく、近代的な国家の考え方を否定する「脱国家」としての性格が強い。

その考え方は、特定の民族を単位とする国民国家ではなく、宗教に基づく共同体の原理に基づく。それゆえに、ムスリムであれば、あるいは、ムスリムになれば、誰でも「IS国民」になることができる。

事実、ISは、世界中のムスリムにその「国家」への移住を呼びかけている。領域的には、イスラーム王朝の系譜に基づく独自の歴史観に基づき、西はイベリア半島やサハラ以北のアフリカ大陸から、東はインド亜大陸、中央アジア、中国の一部までに広がるものとされる。

このような荒唐無稽な「国家」建設のプロジェクト、あるいは「脱国家」(近代的な国家の否定)のプロジェクトが現実のものとなった原因については、次の3つを指摘できる。

 

第1に、イラクとシリアがそれぞれ戦争と紛争によっていわゆる「破綻国家」と化したことである。両国ともに、中央政府の統治の及ばない地域が生まれ、国民同士が互いに争う状況に陥った。その政治的混乱の隙を突くかたちで、ISは武力によって実効支配地域の獲得が可能となった。

第2に、「大シリア」ないしは「歴史的シリア」と呼ばれる東地中海地域――現在のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ/イスラエル、イラクとトルコの一部からなる地域――において、「どのような国家をつくるのか」という問いが、20世紀初頭のオスマン帝国の崩壊からおよそ100年にわたって続いてきたことである。

西洋列強の植民地分割によって創出されたシリア、レバノン、ヨルダン、イラクなどの国民国家については、あるべき国家や地域秩序の完成形と必ずしも見なされず、そこで暮らす住民のなかから再編や改編を求める動きが繰り返し出てきた事実がある。

その筆頭がパレスチナ問題やクルド問題であり、また、レバノン内戦(1975〜90年)に代表される各国でたびたび起こってきた内乱である。

近年のイラクとシリアの破綻国家化は、政治だけでなく、国家を支える思想の面での隙をも生むことになった。ISは、「どのような国家をつくるのか」という古くて新しい問いに対する1つの答えとしての側面を持つこととなった。

第3に、中東においてイスラーム主義と民主主義への失望が広がったことである。「大シリア」の政治的・思想的混乱の隙に生まれた「国家」がISのような過激主義に基づくものとなったのは、単なる偶然ではない。

中東で長年の独裁政治に苦しんできた人びとの希望を引き受けてきたのは、民主主義であった。そして、それを担いうる存在として、穏健なイスラーム主義を掲げる組織や政党に期待が寄せられてきた。事実、2011年の「アラブの春」後のチュニジアやエジプトでは政変後に実施された選挙ではいわゆるイスラーム政党が躍進した。

ところが、新政権の拙い執政、国際社会の冷淡な態度、旧体制派の勢力回復、激しい内戦などによる政治的混乱が深刻化するなかで、民主主義と穏健なイスラーム主義への失望が広がっていった。

そうしたなかで、独裁政治のオルタナティヴとなり得るのが、ISのような過激主義だけとなってしまったのである(拙稿「『アラブの春』とは何だったのか?http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47972)。