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ゼロからわかる「イスラーム国」が世界的な一大現象になるまで
全世界に拡散する「超国家」の「思想」

オバマ大統領がISの「創設者」!?

「ISIS(「イスラーム国(IS)」)は、オバマ大統領に敬意を持っている。彼こそがISISの創設者だ。彼こそがISISを創設した。であれば、インチキなヒラリー・クリントンが共同創設者であると言えるだろう」

米国大統領選挙の投票日を3ヵ月後に控えた2016年8月10日、共和党のトランプ候補は、フロリダ州フォートローダーデールで行われた集会でこう述べた。

むろん、オバマ大統領自身が実際にISを創設したはずもなく、この発言は、対中東政策をあげつらうことで、民主党政権を批判するためのレトリックに過ぎない。

しかし、ライバルをあたかもISの仲間であるかのような言い方、あるいは、ISを生み出した「犯人」として吊し上げるようなやり方は、(おそらくトランプ候補の思惑通りに)米国社会でも大きな波紋を呼んだ。

「犯人捜し」の難しさと危うさ

ISに対する怒り、戸惑い、恐怖が世界に広がるにつれて、政治の世界では「犯人捜し」のレトリックが目立つようになってきた。中東各国の首脳やロシアのプーチン大統領なども同様に、ライバルや敵対する勢力を貶めるために、こうしたレトリックをたびたび用いてきた。

なぜISのようなものが生まれてしまったのか。それ自体は重要な問いである。

しかし、それが「犯人捜し」のかたちで政治的な印象操作の道具にされていることに対して、私たちは十分な注意が必要である。人は見たいものだけを見がちであり、それによって複雑な現実を理解するための歩みを止めてしまうことがある。

そもそも、ある現象の発生要因は複合的なことがほとんどであり、特定の要因だけでは説明することは難しい。さらに大きな問題は、今やIS自体が単なる過激派の「組織」ではなく、世界規模での一大現象となっていることである。

すなわち、ISは「組織」であると同時に、自称「国家」であり、また、共感者を次々に生み出す「思想」として、猛威を振るっている。

ここでは、「犯人捜し」からは距離を置き、ISがいかにして今日の世界における一大現象となっていったのか、その過程を今一度整理してみたい。

 

「組織」としてのIS──イラク戦争後の権力闘争

ISは、本質的にはイスラーム過激派の「組織」である。

そのイデオロギー的なルーツを辿っていくと、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を引き起こしたアル=カーイダ、さらには20世紀に発展したイスラーム過激派の思想へと行き着く。

しかし、「組織」としてのルーツを見た場合、2003年のイラク戦争後の暴力をともなう激しい権力闘争――フサイン政権の崩壊とその後に生じた権力の空白――を考えなくてはならない。すなわち、米国による占領統治とその後に誕生した新政権に対する「反国家」(ないしは反政府)の「組織」としてのルーツである。

「組織」としてのISの内実は、米国の占領に対する武力闘争を謳うイスラーム過激派(アル=カーイダ系)と、戦後統治政策において粛正(パージ)された旧フサイン政権の残党(バアス党員)の「愛なき結婚」であった。

この両者を結びつけたのは、反米感情だけでなく、反シーア派感情であった。イスラーム過激派のすべてが、バアス党員のほとんどが、スンナ派出身者であった。

イスラーム過激派はシーア派を「不信仰者」や「背教者」として断罪し、他方、バアス党員はシーア派を米国の手を借りて国家権力を奪取した「非国民」として敵視したのである(その意味において、俗に言う「宗派対立」は、信仰や教義のあり方をめぐる対立ではなく、あくまでも政治的・社会的な問題として捉える必要がある)。

両者は、当初「イラクのアル=カーイダ」を名乗っていたが、2006年10月に「イラクのイスラーム国」に改称、そして、2013年4月にはシリアの一部のイスラーム過激派組織を糾合し、「イラクとシリアのイスラーム国(ISIS、ISIL)」となった。

その後、2014年6月にイラク第二の都市モースルを攻略した際、組織名から「イラクとシリア」を削除し、「イスラーム国(IS)」を名乗るようになった。