歴史

岸信介は、実は「聖戦完遂」を目指していた?

「終戦内閣」打倒の野望が見えてきた

東条内閣倒閣の狙いとは

まず、何はともあれ、前回http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49940)の終わりにちょっとふれた椎名悦三郎(後の自民党副総裁)の嘆願書の内容をご紹介したい。

椎名は冒頭「以下の私の証言を読んでもらえれば、彼(岸信介)を覆っている戦犯疑惑の暗雲は完全に吹き払われてしまうはずです」と英文で述べ、GHQに岸の釈放を求めている。

嘆願書で椎名が最も強調したのは、戦時中の商工行政を司る閣僚だった岸が東条内閣打倒を決意するまでの経緯である。

読者もご承知のように、日本の近代で東条英機ほど権力の座を独占した政治家はいない。彼は首相と陸相を兼ね、後に軍需相と参謀総長も兼任した。

しかも彼は人命より「一億玉砕」を選ぶ軍人だったから、彼の独裁があと1年続いていたら本土決戦が行われ、何百万人もの犠牲者が出ていただろう。

その意味で東条内閣の瓦解は歴史の分岐点だった。岸がそこで決定的な役割を果たしたのは間違いない。

が、私が知りたいのは彼が倒閣に踏み切った理由だ。岸の側近中の側近だった椎名の嘆願書にヒントがあるかもしれない。つづきを読んでみよう。

「(商工相の岸が主管した)軍需生産計画は、ただ陸軍と海軍の高圧的な要求に従って策定されたものでした。日本の貧弱な工業生産力の下で、それを実行に移すため、岸はありとあらゆる種類の困難に直面しました」

 

陸海軍が求めたのは米軍に対抗できるだけの飛行機や艦船の生産である。だが、どう頑張っても日本にそんな力はない。戦況は悪化の一途をたどった。

生産力増強のため、1943(昭和18)年秋、商工省と企画院を統合して軍需省が創設された。東条が軍需相を兼ね、岸は無任所国務相兼軍需次官となった。椎名の語りがつづく。

岸をとりまく情勢は軍需次官になっても同じでした。いや、もっと憐れむべき状態に陥りました。陸海軍の要求は日本の工業に壊滅的な影響力を持っていたので、それをうまく調整するため軍需省を作ったのですが、軍需省自体が関係各省の妥協の産物だったため中途半端で要領を得ないものになりました

軍需省で最も重要な航空兵器総局は実質、陸海軍の指揮下に置かれ、次官の岸が口をだす余地はなかった。椎名は言う。

一方、陸海軍間の軋轢があらゆるところで表面化し、省内の業務は陸海軍によりガタガタにされました。何の経験もない将校らの介入で混乱の極みに達したのです。こうした経験から岸は、軍事独裁制が救いがたく、ただ破壊と災厄をもたらすだけだと思い知り、嘆きました

実際、軍需省の新設は失敗に終わったらしい。陸海軍の間の軍需物資をめぐる醜い争いを激化させただけだったようだ。

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