ライフ

神学生だった佐藤優が外交官の道に進むきっかけとなった意外な小説

神なしに生きる現代人の姿

指導教授に薦められた小説

筆者は、同志社大学神学部に入ってから小説をほとんど読まなくなった。

神学を本格的に勉強するには、ドイツ語、新約聖書ギリシャ語、ラテン語などの面倒な外国語を習得しないとならない。さらに神学は、哲学の言葉を用いて議論することが多いので、哲学史の勉強もしなくてはならない。

それだから、下宿にあったテレビと小説類はすべて友人に贈与し、勉強時間を確保した。組織神学というキリスト教の理論の研究が筆者の専門だった。

大学3回生(1981年)の4月のことだ。指導教授だった緒方純雄教授のゼミで、「今、話題になっている田中康夫の『なんとなく、クリスタル』は神学的に面白いので、是非読んでみなさい」と言われた。早速、大学生協の書籍部でこの本を買って、近所の喫茶店で夢中になって読んだ。

 

この小説には大量の脚註がついている。もっともこういうスタイルは、聖書の注解書でいつも目にしていたので、全然気にならなかった。すぐにこの小説の世界に筆者は引き込まれた。

総合商社員の娘で東京都心の大学に通う由利の語りで物語が進んでいく。由利は、帰国子女で英語に堪能だ。シドニーに赴任している両親から充分な仕送りも受けているがモデルのアルバイトもしている。経済的にはかなり豊かだ。

由利は、キーボード奏者としてセミプロのような活動をし、経済的に潤沢な大学生の淳一と同棲している。もっとも同棲という言葉を由利も淳一も嫌っている。

「学生が一緒に暮らしてるっていうと、なんとなく四畳半ソング的な、湿った感じがあるじゃない。松山千春や、アリスのカセットを二人で聴いちゃって、インスタント・カレーを食べたりしてさ、たまあに、吉祥寺あたりで夜遊ぶなんてイメージが。」

「さだまさしなんかも、聴いていたりしてね。」

「二人とも、そういう生活はいやだったのよ。このごろ、よくある小説みたいじゃない。そんな生活なんて息が詰まりそうで、すぐに破たんが来そうでしょ。」

「僕もいやだね、しみったれた生活なんて。」

それだから、2人は「共棲」していると自己規定する。セックスを含め、お互いの生活を束縛しないというのが2人の間の暗黙のルールだ。

由利は、フィーリングが合う男をつかまえて適宜、セックスを楽しんでいる。ディスコで知り合った大学生の正隆とラブホテルに行ってセックスを終えた後で、こんなやりとりをする。

「クリスタル族」のいま

正隆は、しばらく黙っていた。

そして、

「生活感覚が似ているのかな、君たちと。」

と言った。

「クリスタルなのよ、きっと生活が。なにも悩みなんて、ありゃしないし……。」

と、私が言うと、彼は、

「クリスタルか……。ねえ、今思ったんだけどさ、僕らって、青春とはなにか! 恋愛とはなにか! なんて、哲学少年みたいに考えたことってないじゃない? 本もあんまし読んでないし、バカみたいになって一つのことに熱中することもないと思わない? でも、頭の中は空っぽでもないし、曇ってもいないよね。醒め切っているわけでもないし、湿った感じじゃもちろんないし。それに、人の意見をそのまま鵜呑みにするほど、単純でもないしさ。」

そう言って、タバコの火を消した。

「クールっていう感じじゃないよね。あんましうまくいえないけど、やっぱり、クリスタルが一番ピッタリきそうなのかなー。」

ここを読んだときに緒方先生がなぜこの小説を神学生に勧めたのかがよくわかった。