企業・経営
プライドの高いスズキが、なぜトヨタに急接近するのか
読み解くカギは、インド市場にあった

スズキの腹の中

「(トヨタ自動車の)豊田章一郎名誉会長にまず相談させていただき、豊田章男社長にも協業に関心を示してもらい、大変感謝している。スズキの将来のためにもしっかりと協議に臨んでいく」――。

38年間にわたって軽自動車最大手スズキのトップとして圧倒的な存在感を放つ鈴木修会長が先週水曜日(10月12日)、またも自動車業界の話題を独り占めにした。

米ゼネラル・モーターズ(GM)、独フォルクスワーゲン(VW)に代わる戦略パートナー候補としてトヨタ自動車にラブコールを送り、親子ほど歳の違う豊田社長との会見に漕ぎ着けて「両社の協力関係の構築に向けた検討を開始することを決めた」と打ち上げたのだ。

自動車メーカーとして世界10位のスズキは、年に約300万台の販売を誇る。仮に同社が傘下に入れば、トヨタは労せずして米独2社を引き離し、「世界一の自動車メーカー」の座を不動にできるとあって、このニュースが世界を駆け巡ったのは無理からぬことだ。

しかし、スズキは、不用意に同社を子会社扱いしたVWとの資本提携を強引に白紙に戻したほど独立自尊のプライドの高い企業である。あっさりトヨタの子会社になるとは考えにくい。修会長は何を考えているのか。腹の内を探ってみたい。

まず、修会長のプロフィールとスズキの沿革、近況をおさらいしておこう。

修会長は、1930(昭和5)年生まれの86歳。岐阜県出身で、中央大学法学部を卒業後、中央相互銀行(現愛知銀行)に入行した。その後、スズキの2代目社長である鈴木俊三氏の娘婿となり、1958年にスズキに入社した。

1975年、スズキは自動車排出ガス規制への対応に遅れをとり、経営破綻の危機に陥った。専務だった修氏が、トヨタの仲介を得て、当時トヨタの資本提携先だったダイハツ工業からエンジン供給を受けて急場をしのいだのが、この時だ。

スズキとトヨタは共に創業者が静岡県西部の出身で、自動織機の製造が祖業のため、当時から両創業家はひとかたならぬ親交があったという。1950年のスズキにおける労働争議にあたって、スズキがトヨタからの融資と役員派遣で危機を乗り切った話も有名である。

先祖に倣って、修氏自身も社長、会長時代を通じて豊田家との関係を大切にしており、この関係が今回の協業交渉の開始の布石になったとの見方は多い。

〔PHOTO〕gettyimages
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