日本史 キリスト教
関東大震災から100日後のクリスマス…その時「自粛」はあったのか
【連載】クリスマスと日本人(14)

大正時代の二大事件といえば、1914年の欧州大戦(第一次大戦)と1923年の関東大震災である。世界の列強と肩を並べ、高揚する社会の空気の中で、クリスマスはどう変わっていったのか。日本人とクリスマスの不思議な関係をずんずん調べる連載第14回。

(前回はこちら→ gendai.ismedia.jp/articles/-/49956)

1914年のクリスマス休戦

欧州大戦ならではのクリスマス記事は、その開戦の年、1914年(大正3)に載っている。

そもそもこの年の欧州大戦は、クリスマスがひとつのキーワードになっている。

7月に勃発した戦争は、当初「クリスマスのころまでには終わる」と楽観的にとらえられていた。この戦争を描写したいくつかの文学作品にその文言が見られる。

クリスマスは自分の家で迎えられると気楽に信じて、兵士は国をあとにしていった。しかし予想をはるかに越え、この大戦は4年にわたり続くことになる。

もうひとつ有名なのは、1914年のクリスマス休戦である。イギリス兵とドイツ兵が対峙していたいくつかの前線で、この年の12月25日に戦闘を止めた。「クリスマスだから休戦しよう」という自然発生的な動きがあった。あくまで現場の兵士たちの唐突な行為である。広くみなで一斉に休戦したわけではない。戦いを続けていたところも多い。

ただあまりに印象的な出来事であったため、いまに語り継がれている。

もちろん戦争指導部としては、当然、認められるような行為ではなく、1915年以降にそのような休戦は起こっていない。いっときの夢まぼろしのような休戦である。

この2つのポイントによって、欧州大戦の初年はクリスマスと因縁が深い印象を持たれている。

 

捕虜たちのクリスマス

日本は日英同盟を根拠にイギリス側の連合国に8月に参戦しドイツ軍と戦った。

ドイツの租借地であった中国のチンタオを占領、また太平洋のミクロネシアエリア(現在のパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、北マリアナ諸島)も占領し、日本領(租借地、委託統治地)とした。チンタオではドイツ人を多数、捕虜とし、日本に連れ帰っている。

この捕虜たちのクリスマスについての記事が載っている。

捕虜は当時、〝俘虜〟と呼ばれていた。

1914年12月24日付。

「●俘虜の降誕祭 今二十四日の降誕祭には東京俘虜収容所内の俘虜らにも降誕祭を許すことになって、今朝より俘虜はその準備にとりかかるはず。在留外人の間からもクリスマス木(ツリー)その他物品の寄贈があった。遊興は許さず酒肴の供給なども無い。

いっぽう静岡の俘虜収容所では五時から赤十字社支部楼上に盛大な祝いの催しがあって、マチャ大尉の開会の辞、特務曹長の奏楽独唱、福引き等の余興もあって、翌二十五日は終日休暇を与える由」

ドイツ人捕虜は欧州での大戦が終わるまで日本国内に留められ、終戦ののち本国に送還された。(終戦翌年の1919年のなぜかクリスマス12月25日に帰国船は出航した。新聞の見出しには「近く帰国するドイツ俘虜 絶対に英領に寄港せず」とある。)

国際法にのっとって、日本はきちんと捕虜を遇し、クリスマス祝いも許していた。

こういうときのため、つまり西洋基督教国に世界の田舎者と笑われないため、明治以降の日本は西洋文化摂取に努めてきたのだ。クリスマスもきちんと輸入しておいてよかった、というところであろう。

日本も欧州大戦の当事者であり、だからクリスマスにもその影響があった。

また、クリスマス贈物記事のところで、欧州の大戦のために、舶来品の輸入が少なくなっている、という記事が出る。

「●聖誕祭を控えた銀座通 華やかな店飾と 玩具の日英同盟

さて今年は独逸(ドイツ)製のデコレーションこそ輸入がないが、クラッカーでもストッキングでも、例年の通り英国製のが入っていて相場は▲例年より安い、ほうである。(…)ストッキング等にはこれまで英国製のものでも、中身は独逸とか日本の玩具が入っていたが、今年は独逸物は一つもなく、日本製と英国製の玩具が仲良く蟄居して、日英同盟を事実の上で見るのも面白い。

(…)玩具は独逸のが入らないので上等品にはさしつかえるが、これも日本製のが既に発達してきてそう贅沢さえいわなければ坊っちゃん嬢ちゃんを失望させるほどではない」(1914年12月14日付)

ドイツは交戦国であったので、ドイツのものは輸入されなくなっていた。玩具の日英同盟、という見出しが、何とも当時の気分を伝えている。戦争とはいえ、他人事である。欧州はとても大変だったのだが、日本国内は大変ではなく、しかも勝者サイドにいた日本にとって終戦後、国際連盟において「世界五大国のひとつ」の席を与えられる。

不思議な高揚感があり、それは大正時代の何ともいえない気分を醸成していった。