日本史 キリスト教
キリスト教を絶対に体内に取り込まない「日本文化」の見えない力
【連載】クリスマスと日本人(13)

日露戦争の勝利を転機に、クリスマスを「西洋気分を味わいながらはしゃぐ日」に変えた日本人。そして大正年間に入り、日本の風俗の中にクリスマスは完全に定着していく。同時に、キリスト教の宗教的な側面は断固として拒否しつづける日本文化の目に見えない力が浮かび上がってくる。

日本人とクリスマスの不思議な関係をずんずん調べる連載第13回。(第1回はこちらから http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47056

「欧州大戦」の影響

大正年間は1912年の7月31日から、1926年の12月25日までの14年5ヵ月間である。

この15年足らずの期間に起きた出来事のうち、とても大きな出来事はこの二つであろう。

1914年からの欧州大戦。
1923年の関東大震災。

25年のちに再び欧州で大戦が起こるので、1914年のほうは「第一次大戦」といまでは呼ばれるが、当時そんな呼び方をする人はいない。なので本稿でも1914年から18年までの戦争を〝欧州大戦〟と記すことにする。

日本はこの欧州大戦に参戦している。ドイツと戦い、東洋から太平洋にかけてのドイツ権益を奪取する。

日露戦争に続き、この世界大戦でも勝利して、日本はますます変わっていく。

また、欧州大戦の影響でロシアに赤色革命が起こり、その革命干渉戦として(共産主義政権を倒す目的で)〝シベリア出兵〟が日米軍を中心におこなわれ、そこから米価が高騰し、ために1918年には米騒動が起こった。

大正年間の大きな出来事をもうひとつ加えるのならこの「米騒動」になるだろう。ただこれも大きな視野から見れば〝欧州大戦の影響のひとつ〟と見ることができる。

二十数年後の第二次大戦の印象が強く、日本におけるこの欧州大戦の影響が語られることがないのだが、日本のいろんな運命は、この大戦によって変わってきている。

日本のクリスマスにも、その影響は出ている。

 

クリスマス記事のパターン

大戦前年の大正2年、1913年12月10日のクリスマス記事には「この二、三年クリスマスの急に盛んになり、もう花やかなクリスマス装飾がそこここの町の中を春のよう彩っている」という相変わらずの記事が載っている。ここ最近クリスマスが盛んになった、と、新聞はずっと書き続ける。

たしかに定着はしてきたようだ。大正期のクリスマス記事はある定型ができていく。

まず12月の初頭、だいたい3日から遅くとも10日くらいまで「街ではもうクリスマス装飾が始まった」という写真入りの記事が入る。ほぼ毎回、銀座の風景である。

そのあと「クリスマスの贈物には何がいいか」という記事が出る。クリスマス用の舶来の玩具や、クリスマスカードなどの商品紹介がある。だいたい明治屋、亀屋などの商品である。

そして12月23日から24日ごろに、都内各教会でのクリスマス会の予定日時が紹介される。

12月25日26日は、その紹介した教会での様子がレポートされる。

これがパターンである。

「装飾始まる」「贈物紹介」「祝会予定」「祝会報告」。この4パターンが繰り返される。

もちろんこれ以外のいくつかのクリスマス記事が載る年もある。

クリスマスは明らかに「12月らしい日本の風景」として定着していった。どこまでも日本の風景である。