近現代史
なぜ岸信介は「A級戦犯」として起訴されなかったのか
東京裁判のナゾ

開戦責任は重いのに…なぜ?

このところずっと岸信介にまつわる謎を追いかけている。岸はなぜ、A級戦犯として起訴されなかったのだろうか。

東条英機内閣を倒して戦争終結に貢献したからだ、と言いたいところだが、岸の調書類を読むかぎりではちがうらしい。

前回http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49842)ふれたように、岸の第1回尋問(1946年3月7日)を担当したG・サカナリ中尉らは、倒閣の顛末を聴いたうえでなお「岸は被告席を飾るにふさわしい」と報告している。

つまり東条内閣の閣僚としての開戦責任はそれほど重いということだ。真珠湾奇襲への米国民の恨みは深い。ついでに述べておくと、サカナリ中尉らによる岸の人物評価も甘くない。

中尉らは「岸はおそらく(一貫した原理原則のない)機会主義者で、自分に都合のいいようにものごとを利用する人物だ」と調書のなかで指摘している。

と同時に「岸の人脈は広い。財界、官界、軍、宮中にまで及ぶ」「(岸らの満州)人脈は、東条内閣期のものの考え方に直接的な影響を与えた」などと、その後の岸研究の成果を先取りするような分析もしている。

東条内閣の閣僚たち。最後列左が岸信介〔PHOTO〕gettyimages

この尋問から7日後の14日、国際検察局捜査課の執行官であるバーナード少佐は、モーガン捜査課長(FBI出身)に「岸を東京裁判の被告第一グループに入れるべきだ」という文書を送っている。少佐は、その理由として次の点を挙げた。

「岸は(日独伊三国同盟を結んだ)松岡洋右外相の甥で(国家総動員体制を作った)革新官僚たちのリーダーと目されていた。それに岸は、満州という偽国家の法体系を作り、東条内閣の閣僚もつとめた。しかも、彼は軍人でないのに、青年将校一派と密接な関係を築いていた」

バーナードの報告の翌日、国際検察局のキーナン局長が「状況が許すなら、東条内閣の閣僚全員を被告にしてほしい」と求めたことも前回ふれた。つまり岸の起訴に直結するメッセージが捜査現場と、上層部の双方から送られたことになる。

が、結局、岸は起訴されなかった。そこに至る過程は粟屋憲太郎・立教大学名誉教授の『東京裁判への道』(講談社学術文庫)に書かれているので、それに拠りながら説明しよう。

 
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