ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える
現代社会の特殊な価値観と構造
磯野 真穂 プロフィール

これについては第1人者の江部氏[3]が奇しくも著書の中で明快に説明している。

明治や戦前の日本人は、総摂取カロリーの7〜8割が米飯(主に白米)だったにもかかわらず、2型糖尿病がほとんどありませんでした。当時の日本人の日常生活における運動量は、現代人の10倍近かったと思います。 結論としては、運動量が現代人くらいだと、白米を一定量以上食べると、とくに女性の場合は2型糖尿病のリスクになるということです。

つまりここから言えることは次のことではないだろうか。

現代人、特に運動量のあまりない女性が白米をたくさん食べると2型糖尿病のリスクがあがる。白米を減らす、あるいは運動量を増やすとこのリスクを下げることができそうだ。

運動量が多ければよいのであれば、糖質がすべての元凶であるという糖質制限派の主張には齟齬が生じてくるといえよう。

 

なぜ糖質制限はブームになりえたのか?

糖質制限の根拠に原始人を持ち出すことは、2型糖尿病の人々に効果を示した食事法5を一般に広げる上でかなり有効であったといえる。

私たちの中に眠っている700万年前の原始の能力が、糖質をカットすることにより目覚め、体重は落ち、健康になり、集中力も上がるという糖質制限派の主張は魅力的だし、ロマンがある。

しかし私はこの食事法が「人間本来の食事」「人類の健康食」6といった言葉と共に、万人にとって素晴らしい食であるかのように広がってゆくことに危惧を覚えている。

5糖質制限食は2型糖尿病患者に一般的に適用される食事療法ではない。一部の施設において実施され、効果を示した食事法である。
6いずれも江部氏の『主食をやめると健康になる』[3]からの抜粋である。

日本社会は、肥満が問題になる一方で、やせすぎの若年女性の多さとそれゆえの健康被害が懸念される国でもある。

もともとそれほどご飯を食べていなかった標準体型の女性が、もっとやせたいと願って「人間本来の食事」である糖質制限を実行することは、そもそも人間本来のあり方なのだろうか? 成長期の子どもがネットで糖質制限のことを知り、それを実行することはよりよい成長を導くのだろうか?

糖質制限が2型糖尿病の人々を超えて多くの人に受け入れられたのは、「食べたいけどやせたい」という現代人特有の欲望をなんといっても満たしてくれたことにある。

そして、「食べたいけどやせたい」という欲望は、やせていることが評価される社会でなければ生まれえない。食料不足の危機がある社会では、身体に脂肪を蓄えられることがステータスになるため、食べてもやせるという、現代人をひきつける糖質制限の特徴は魅力にはならないし、そのような社会では栄養不足によるやせの方がよっぽど深刻であるからだ[11]。

たくさんの食べ物があふれ、貧しい人でも簡単に太ることができ、やせることが無条件に美しさ、カッコよさ、聡明さ、自己管理能力の高さと結びつく、人類史稀に見る社会状況にフィットすることにより糖質制限はブームになった。

しかしその事実は、生理学的な説明と、原始への憧れにより巧みに覆い隠されている。糖質制限はほんとうに「人類の健康食」なのだろうか? それは限られた時代の、限られた地域の、限られた人々にとっての健康食ということはないだろうか?

普遍化の裏側にあるものは、現代社会のきわめて特殊な価値観と構造であることに目を向けて、いまいちど糖質制限の功罪を考えてみたい。

<つづきはこちら:白米を食べるとやせる!? バブル期に誕生した真逆ダイエットとは>

磯野真穂(いその・まほ)
国際医療福祉大学大学院講師(博士【文学】)。文化人類学者。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。2003年、オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了(修士【応用人類学】)。2010年、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。早稲田大学文化構想学部助教を経て現職。2000年より拒食・過食についての研究をはじめ、シンガポールと日本でフィールドワークを行う。現在は主に現役の医療者に向け文化人類学を教える傍ら、医療現場でのフィールドワークを続けている。一般に向けた企画である、「一億総やせたい社会を考える人類学ワークショップ・からだのシューレ」の主催者の一人。著書に『なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学』(2015、春秋社)

1. Richards, A., Land, Labour and Diet in Northern Rhodesia. 1939: Oxford University Press.
2. Mintz, S.W., 甘さと権力: 砂糖が語る近代史. 1988:平凡社.
3. 江部康二, 主食をやめると健康になる. 2012:ダイヤモンド社(電子書籍版).
4. 夏井睦, 炭水化物が人類を滅ぼす~糖質制限からみた生命の科学~ 2013:光文社新書(電子書籍版).
5. 有本邦太郎, 国民栄養の現状. p. 1-7. 1947:厚生労働省.
6. 鈴木梅太郎&井上兼雄, 栄養読本. 1936:日本評論社.
7. Ohnuki-Tierney, E., Rice As Self: Japanese Identities through Time. 1994: Princeton Univ Press.
8. 原田信夫, 江戸の食生活. 2009: 岩波書店.
9. Zuk, M., 私たちは今でも進化しているのか. 2015: 文藝春秋.
10. 厚生労働省, 平成26年国民栄養調査. 2016:厚生労働省.
11. Brown, P.J. and M. Konner, An Anthropological Perspective on Obesity, in Understanding and Applying Medical Anthropology, J.B. Peter, Ed. p. 401-413. 1998: Mayfield Pulishing Company.