日本史 キリスト教
クリスマスはこうして「日本化」していった 〜明治末の脱キリスト
【連載】クリスマスと日本人(12)

日露戦争の勝利を転機に、クリスマスを「西洋気分を味わいながらはしゃぐ日」に変えた日本人は、異教の祝祭を一気に「日本化」させていく。その模様を当時の新聞でずんずん調べた。(前回はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/49905)

芸者を呼び、日本の料理を食べ…

1906年12月25日の記事(以下、すべて東京朝日新聞)は、我が国の耶蘇ならぬ家々にても近年、家庭での趣味生活が増えてきているため、クリスマス装飾を新年飾りのひとつとして楽しみ、面白く新春を迎えることがとても流行している、と書かれている。

キリスト教徒ではないふつうの日本人も、新年を迎える年末の行事として取り入れだした。(ただ当時の日本の貧富の差はまだまだ激しく、中流以上の家庭でないと、そこまでの余裕はなかっただろうとはおもわれる。)

同年1906年の12月27日には「風変りのクリスマス」という記事が掲載されている。

〝日本通のある外国武官〟が日本陸海軍武官数名にクリスマスの案内を出してきた。キリスト教国の軍人が日本の軍人をクリスマスパーティに招待したのだが、その場所が木挽町の待合(芸者などを呼んで遊ぶ貸座敷、関西で言う茶屋)となっている。

どういうクリスマスを迎えるのかと訝しくおもいつつ参集すると、何のことはない、芸者を呼び、日本の料理を食べ日本酒を多いに飲んで楽しく過ごしたばかりである、こういう降誕祭もいい、と楽しく過ごした、そういう記事である。

〔PHOTO〕iStock

やくたいもないというか、事件性も話題性も一般性もまったくない内容であるが、やはり「高級軍人の遊び」としておもしろいとおもわれたので掲載されたのだろう。クリスマスの日本化の一端として読めば、興味深い内容である。

1907年になると「クリスマスプレゼントはどういうものがいいか」という記事になる。

いまどきの雑誌と変わらない。記事はクリスマスの1週間前、12月17日に掲載されている。

見出しは「●クリスマスの贈物は?▽其日が楽しみ」。

クリスマス用贈答品を売っている主な店は〝銀座の明治屋、新橋の亀屋、カード類は銀座の教文館〟と紹介している。

贈り物の〝大立者〟はストッキングである。これは〝お菓子や玩具の入った靴下形のもの〟を指しているらしい。たしかにいまでも似たような子供向けクリスマス商品を売っている。それは明治末年には主力商品となっていたようである。

 

関心の急速な高まり

1907年から、クリスマス直後(だいたい12月26日から27日)に「クリスマス廻り」という見出しで、都内の教会をいくつもまわってレポートするという記事が始まる。

1907年のものは、芝教会、神田の青年会館、神田教会、数寄屋橋教会と廻って、その様子をレポートしている。

若い男女が楽しそうに一生懸命働いているさまをみて「かつては自分もああであった」とやや感傷的に描いている。最後は「天には星影、地には栄光、人にはクリスマスのお喜び、ああ、今日は佳い日であった」とまとめている。不思議に感傷的な記事である。

「近年は十二月廿五日と限らず都合を見計らってその前後にクリスマスの祝典を挙げることが流行る」とも書かれている。翌日の続報(クリスマス廻り第二弾)のまとめは、「クリスマスは真面目なるものよりも、道化(ふざけ)た、若々しい、小児小児(こどもこども)したものが面白し」と結ばれている。

つまり「宗教イベントではなく、ただの祝祭となっている空間が、われわれには親しみ易い」と堂々と宣言しているわけである。

1908年も同じようなクリスマスレポートが載っている。

牛込矢来の福音教会。払方町の日本基督牛込教会。神田の青年会館。神田教会。下谷新阪本町の神愛幼稚園。本郷教会。それぞれのクリスマス当日風景をレポートしている。下谷は江戸の昔から貧民の多いところなので、ここでは施しをおこなっている。

1909年からはクリスマス当日のレポート分量が格段に増える。

12月25日の「前夜クリスマスイブの記事」は一面八段組のうちの二段ぶん、翌26日の「昨日の基督祭▽少年少女の楽しい日」の記事は四段ぶん、つまり一面の半分をクリスマス紹介記事が占めている。

クリスマスに対する関心が、急速に高まっているのがわかる。

25日付けの記事「クリスマス廻り 此処も彼処も大賑い」の最初はこういう文章である。

「銀座、日本橋、神田辺の雑貨店では大分(だいぶ)クリスマス当て込みの品物を売ってるようになってきた。サンタクロース・スタッキングだのクリスマス・クラッカーだのそのほか色々のものがだいぶ売れる降誕祭(クリスマス)は最早わが国の盛んの一行事と見なさねばならぬと、二十四日はクリスマスの巡礼と出掛けた」

1909年にもそう書かれている。

日本へのクリスマスの定着は明治の末年である。年中行事のひとつとして、少なくとも東京都市部においては、明治末年にはクリスマス騒ぎは定着していた。

そのへんは歴史的事実として、みなの記憶に留めておいてもらいたい。

ロシアに戦争に勝ってから、日本流クリスマス馬鹿騒ぎは日本に定着していったのだ。