文学
特攻隊の生き残りだった父から娘が受け取った飛行機乗りのロマン
自分は、宇宙のチリだ

空でつながる点と点

空を飛ぶのが好きだ。好きというより、私の住処は空ではないかとさえ思う。けれど鳥のように羽を持たないので、飛行機に連れていってもらうしかない。ドローンになれたらどんなに愉しいだろう。これは間違いなく、父からの遺伝。

父は神風特攻隊の隊長として8月18日に出撃して死ぬ予定だった。終戦が3日遅れたなら、すでに母のお腹に着床していた私は、父を知らない子として、翌年4月に生まれた。

生き残った父の人生をここで語るわけには行かないけれど、父はお釣りの戦後人生の中で、娘が知るかぎり一番生き生きと見えたのは、飛行機について話すときだった。

出来たばかりの関門トンネルを列車で走り抜けたとき、「このあたりが底だ」「あ、今上り始めた」とその瞬間を言い当てた。微妙な浮沈が感じられるのが娘には不思議だった。

空には線路が無いけれど、操縦する機体の浮沈はかなり正確に感じるものらしく、その感覚が戦後もしばらく続いていたようだ。その感覚が父の身体から消えたとき、ようやく父の戦争も終わったのだと思う。特攻という暗くて哀しいイメージに包まれた、誰にも真似できない身体感覚。

父の空と私の空はまるで違う。いやそうだろうか。

時代から少し離れて俯瞰すれば、わずかな時間差はあっても、同じ空を飛んでいるのではないか。

父が戦場となった空を飛んだ少し前、そして私が生まれるちょうど10年前の1936年11月のこと、パリから東京羽田に向かって、ダマスカスやカラチ、アラハバッドやハノイなど南方の都市を慌ただしく経由しながら、たった一人の操縦で昼夜休まず飛び続けて来た単発機があった。

操縦していたのはフランス人飛行家アンドレ・ジャピーで、彼は莫大な懸賞金が懸かった百時間懸賞飛行に挑戦したのだ。そして目的地羽田を前にして、私が暮らす福岡と、佐賀の神埼を隔てる標高1055メートルの背振山に激突した。

サン・テグジュペリが地中海や南米へ飛び、リビアの砂漠に墜落して「星の王子さま」を書いた時代のこと。大航海時代ならぬ大航空時代である。

彼らの空の冒険には、民間航路を拓くという大義名分があった。第二次大戦へ向かう軍靴の音や、硝煙の匂いも漂い始めていたが、彼らは純粋に「空の冒険野郎」だった。

いや、果たしてそれだけか。

空に消えたハンサム

その疑問はさておき、空を飛んでいるとき、どの国にも民族にも属さず、自分はただ一つのちっぽけな生命だと感じるのは、いつの時代も同じではないだろうか。あらゆる所属から離れて宇宙の塵となる時間。かつて父も、そしてアンドレも、もちろんサン・テグジュペリもリンドバーグも、自分を宇宙の塵だと感じたはずだ。

その究極の心細さと地上では感じられない自由。空を飛ぶ、ということは科学的には納得出来ても、身体はその奇蹟に震えてしまう。死はすぐ近くにあり、それでも心臓は動いているのだ。

地上で自分を縛っていた概念や先入観や知識というものがはらはらと外れていき、確かなものは何も無いと思えてくるかわりに、遠かった人間がいきおい近くなるのも空の上。何しろ時空を越えた塵同士なのだから。

アンドレは背振山に激突し、瀕死の状態で地元の炭焼たちに救出された。帝国大学附属病院で手術を受け、見事空に復活した。その事実は美談として教科書にも載ったけれど、事実には裏もある。裏の方が面白い。裏には恋も別れもあり、時代の魔の手も伸びていた。

アンドレ・ジャピーはフランス東部のスイスに近いボークール市の出身で、この市にはジャピー一族が建てた幾つもの城がある。ジャピー一族の歴史は17世紀から始まり、フランスの技術革新に大きな力を発揮し、今もプジョーなど様々な産業分野を陰で牛耳っている。

アンドレはその一族の鬼っ子というか、明らかに正統な系譜から外れ、空の子となった男。しかもかなりのハンサムで、空飛ぶ貴公子と呼んでも良いルクス。

久々に私に恋がやってきた。恋がロマンを連れてきた。

夜間飛行で眠れぬままシェードを押し上げて夜空を見ていたとき、目の前に星座オライオンがくっきりと肩をいからせていた。即座に物語のタイトルを「オライオン飛行」と決めた。このギリシャ神話の狩人を、アンドレも父も見ていたはず、と思えば、時を越えてロマンを語る勇気が、身体の底からじわじわと湧いてきた。

読書人の雑誌「本」2016年10月号より