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なぜ日本映画の「リメイク権」は一大輸出産業にならないのか?

製作委員会方式の謎〈前編〉

映画が大好きで、時間が許す限り映画館に足を運ぶ。この連載でも、過去に『アナと雪の女王』や『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』といった作品について書いてきたが、ハリウッド映画に限らず、またジャンルを問わず、たくさん映画を観る。

そうする中、日本映画のエンドロールでよく目にする「製作:〇〇製作委員会」という表記が気になり、その意味を調べてみたことがある。

どことなく小学校の学級委員会を連想させる言葉だが、いわゆる製作委員会方式とは、映画を製作するための資金集めの手法であり、現在日本の映画界では、ほぼすべての作品がこの仕組みで製作されているという。

筆者は当時、金融業界で仕事をしていたが、資金調達の方法として、製作委員会という制度については聞いたことがなかった。だが調べていくうちに、日本の映画界では、製作委員会の長所短所について、これまでに様々な議論が行われてきた経緯があることを知った。

そこで一連の議論を読み進めてみると、どうしても、一つの違和感が頭を離れなくなった。つまり、映画製作には複数のステークホルダー(利害関係者)が関与するわけだが、製作委員会方式の是非を問うこれまでの議論には、一部の関係者の利害が、正しく反映されていないのではないか。

具体的には、多くの日本映画の原作となっている漫画や小説の原作者の利害が、議論から抜け落ちているのではないかと思えてならなかったのだ。

そんな疑問を胸に、国内外の識者にお話を伺いながら、色々と調べてみた。

〔PHOTO〕iStock

「会社」ではない任意組合

筆者がまず驚いたのは、製作委員会が、法人格を持たない組織だということだ。

製作委員会は、映画製作に必要な資金を複数の出資者から募り、これを原資に映画を作って、完成した作品の著作権を運用するための、事業母体として組成される。複数の出資者が拠出した資本を、一つの事業に充てるという資金調達の方法自体は決して珍しくなく、エンターテインメント産業の外でも、例えば不動産や石油開発を行う際には、製作委員会方式と似た仕組みが頻繁に利用されている。

しかし、不動産や石油開発のために組成されるこうした事業母体が、いわゆる特別目的会社など、あくまでも「会社」であるのに対し、製作委員会は、その名の通り「委員会」であるという点が大きく異なる。この「委員会」は、日本の法律では民法上の「任意組合」にあたる組織であり、「会社」ではないため、法人格を持たないのだ。

製作委員会が「会社」でないことは、一体何を意味するのか? 一連の議論の中から、まずは製作委員会に向けられてきた批判の一つを取り上げると、意思決定のプロセスが不明確だという点が挙げられる。

映画製作の過程には、当然ながら、決めることがたくさんある。

まずはクリエイティブ面において、監督、脚本家、キャストなどを選定し、脚本を推敲して、どのような映画を作るか決めなければならない。そしてビジネス面では、制作と宣伝の予算をそれぞれ決定し、どの劇場で公開し、どのようにプロモーションを行うかを決める。さらには、マーチャンダイズ化、書籍化、ゲーム化などの二次展開はどうするか。海外展開はどうするかなど、懸案事項は後を絶たない。

こうした決断を下していくプロセスが、法人格を持つ、例えば株式会社の場合は、会社法によって定められていて、法的に設置された株主総会や取締役会といった意思決定機関がこれを司っている。

いわゆる「会社」ではない任意組合についても、民法で、組合員の過半数の同意をもって業務執行が可能と定められてはいるのだが、これは会社法とは異なり、任意規定と解釈されるのが一般的である。つまり、民法上の規定にかかわらず、製作委員会の組合員、つまり全出資者は、契約書上で合意することによって、実質、意思決定のプロセスを自由に定めることができるのだ。

 

映画製作に支障をきたす「取り決め」

実際に、製作委員会の組成にあたって締結される共同出資契約書を参照すると、多くの場合、民法の規定とは異なる意思決定の方法が記載されている。

製作委員会によって詳細は異なるが、最も一般的な例を調べてみると、組成時から数年以内に想定される、主にビジネス面の懸案事項について、組合員の一者を「幹事」に任命して執行を委ねる、もしくは、組合員の間で担当業務を振り分ける措置をとった上で、その他の多くの事項については、全組合員で「別途合意」することと規定する場合が多いようだ。

製作委員会に関するこれまでの議論を読んでいると、この全組合員による「別途合意」という取り決めが、主にクリエイティブ面において、責任の所在を不明確にし、映画製作に支障をきたすという指摘が行なわれてきている。

つまり、映画の質を左右するクリエイティブな判断について、出資者のうち一者に全てが委ねられるのは稀であり、一方で、製作委員会全体としては明確な意思決定プロセスがないため、作品のクリエイティブ面に責任を持つ者が、実質不在の状態が生まれている。そのため、製作委員会方式では、全出資者の意見に少しずつ配慮した、妥協案としての作品作りしかできない。

さらに、時には十者以上にものぼる出資者全者の合意を得る過程では、製作がどうしても保守的になり、結果、一定の興行収入が見込める(いや正確には、一定の興行収入が見込めるという説明ができる)ヒット漫画や小説を原作とした映画しか、製作することができない。そういった一連の指摘が行われてきたのだ。

実際、近年における邦画の興行成績を調べてみると、表の通り、上位作品の大半が漫画もしくは小説の映像化作品であり、さらにビデオゲームやテレビドラマから派生した映画まで勘案すると、日本映画界が、いかに既存の原作に依存しているかが読み取れる。

漫画、小説、ゲームなど、他のエンターテインメント産業が毎年のように新しいヒットを生み続ける一方で、近年の映画界は、オリジナルのヒット作をほとんど製作できていないのだ。

既存原作の映像化権を取得して、これを脚色して映画を作る。この行為自体が必ずしも悪いとは言えないが、日本の映画産業が、オリジナルの脚本に基づく作品をなかなかヒットさせられなくなってしまっている現状は、特に日本映画の過去の栄華に思いをはせると、悲しいと言わざるをえない。

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