杞憂に終わった「トランプの乱」、胸をなでおろすヒラリー陣営
米大統領選・第1回討論会の見方

胸を撫で下ろしたヒラリー陣営

前稿「完璧主義者ヒラリーのディベート対策」(gendai.ismedia.jp/articles/-/49848)で指摘したように、ヒラリーは選挙の討論に万全の準備で臨む。彼女にはそれを支える組織力がある。

しかし、候補者本人に彼女並みのずば抜けた理解力、記憶力がなければ、どれだけ優れた「技」(すなわちスタッフ勢)が陣営に揃っていても効果はない。

だが、大衆的人気を誇るポピュリストのトランプとのディベートは予期できないリスクを抱えていた。トランプのことである。何をしでかすか分からなかった。予備選で共和党ディベートをドタキャンするような人物である(謎めいた「欠席」で翌日の報道を独占する寝技だった)。

ディベーターの能力は相手がディベーターである場合にしか通用しない。トランプが通常のディベートを放棄して、とんでもない飛び道具を持ち出したら、まともな政策論争は成立しない。それこそ敢えてディベートでの試合には負けても、投票率という「勝負」で勝ちに行くかもしれない。

突然「これまで何十年もこういう儀式めいた討論を繰り返してきたが、主流メディアに操作されたショーには意味はない。私は司会者の質問には答えず、声なき大衆のあなたに向けて語る」などと言い出し、カメラ目線で演説を始めるかもしれない。

納税申告書を司会者に手渡し、「さあ、貴女の番です。メールを出しなさい」と言うかもしれない。

「サンダース支持者の皆さん、無党派の皆さん、ヒラリー阻止に私と一緒に立ち上がりましょう」と叫ぶかもしれない。

国際社会に向けて何かを語り出すかもしれない。

とんでもないスキャンダルを持ち出すかもしれない。

……結果、そのどれでもなかった。少なくとも1回目のディベートは「トランプの乱」は杞憂に終わった。ヒラリー陣営関係者は胸を撫で下ろしている。ヒラリーの専属スピーチライターだった人物は、かつて陣営で筆者にこう指導してくれたことがある。

「相手候補がヒラリーへの批判票を取ろうとしているだけで、実質的な政策提言は弱い、という1点を有権者の脳裏に浸透させられれば成功」

その基準からすれば、今回もその印象を有権者に与えられていれば最低限は成功だった。そして折からの健康不安の払拭としても、休憩時間なしの討論を咳き込むこともなく無事終えられれば及第だった。演説やフォトセッションと違って、ディベートは「影武者」にはとても無理であると有権者も知っている。

〔PHOTO〕gettyimages

トランプは期待値が低いから得?

トランプにはジレンマがある。ファンが求めている「変わり者」「暴言吐き」というトランプ像は、大統領らしく見えるように振る舞う上では、本選では捨てていかねばならない。

指名受諾演説でも初回ディベートでも、予備選に比べると抑制的だったトランプは、「トランプも普通のディベートができるではないか」「周囲をブレーンで固めてあげれば、大統領として最低限機能する」とエスタブリッシュメントを安心させる効果はあった。

「歴史的には最低レベルの討論力でも、期待値を上回ったので合格点。その意味でトランプは得」とある民主党戦略家は皮肉混じりに語る。

また、ある共和党インサイダーは次のように筆者に不満を語った。

「トランプは伝統的なディベート準備をしないらしいが、私たちが知りたいことに適切に答えられないのでは困る。税金とイラク戦争には答えて欲しかった。これらに素早く説明責任を果たさなかったので、残り時間を防御に浪費し、攻撃に時間を割けなかった」

トランプが深く掘れなかった攻撃は、トランプ自慢の「法と秩序」に絡めてサイバーセキュリティの点から「メール問題」を改めて突くことやベンガジ問題、移民政策などだ。時間が足りなかった。

また、司会者の制止を無視して割り込むのは予備選からのトランプのお家芸なのだが、女性相手に繰り返すのは「セクシズム(性差別)」批判を招くので得策ではない。2回目はタウンホール・ミーティング形式であり、有権者の眼前では致命傷になるとの警戒の声も共和党内にはある。