アメリカ 大統領選
ここまでやるの? 完璧主義者ヒラリーのディベート対策、その舞台裏
驚異的な速読と暗記力

驚異的な速読と暗記力

政治家ヒラリーを誕生させた2000年連邦上院選挙の陣営本部で、アウトリーチという集票部門にいた筆者が目の当たりにしたのはヒラリー・クリントン(当時大統領夫人)のディベート(テレビ討論)への周到な準備の姿勢だった。

ヒラリー陣営では選挙のディベートの準備に向けて、政策分野ごとに大きなファイルを作り上げる。下準備をするのは陣営本部の各部門のスタッフである。

アウトリーチという属性別の集票戦略の部門であれば、黒人、ヒスパニック系、アイルランド系などの個別の有権者集団のコミュニティが抱える問題の現状を把握してもらう必要があり、かなりの情報量になる。

いつしかファイルはまるでアコーディオンのような分厚さになった。筆者は当初、ファイルは政策部門の少数の幹部とスピーチライターの下準備用なのだと思っていた。

しかし、驚いたことにヒラリー本人が隅々まで目を通していた。

 

ページの端に付箋のような紙がつけられて各部門に戻されてくる。疑問点がびっしりと書き込まれていた。上級幹部のメモかと思いきや、本人の手書きだった。内容に全て目を通していなければ生じ得ない、的確かつ鋭い指摘ばかり。必要に応じて担当局長(ディレクター)がヒラリー本人に呼び出されて説明を行う。

我々陣営スタッフの間でよく対比的に語られていたのが、ゴア副大統領だ。

2000年のニューヨーク州のヒラリー陣営上院選本部は、大統領選挙ゴア陣営のニューヨーク支部を兼ねていた。ゴア副大統領は政策の要点だけをざっくり知ることを求め、ファイルも薄いものでよいという指示だった。

これに対して、ヒラリーは完璧主義で細部まで知ろうとした。ファイルはどんどん分厚くなった。

暗記力に優れているヒラリーは、事前の勉強会ですべてを頭に入れたので、ディベート会場では資料をほとんど必要としなかった。

陣営本部内のウォールーム(作戦室)のモニターでディベート観戦中、スタッフ達で司会の質問直後に回答を叫ぶ「早押しクイズ」のようなゲームをしていたことがある。たいてい画面の中のヒラリーが、「遠隔腹話術」のようにほぼその通りに話した。筆者にとって衝撃だったのは、ヒラリーの見事な回答ではなく、スタッフとのシンクロの度合いだった。

この問題ではこう返すという膨大なパターンを準備し、それをヒラリーが完全に咀嚼して内在化していた。ヒラリーの中に100人以上のスタッフの頭脳と分厚いファイルが詰まっているようだった。

かといってアドリブが苦手なわけではない。政策論争であれば延々と一晩中でも原稿無しで語れる。しかし、政策論争であることが条件だ。ヒラリーは詩的なレトリックで聴衆をうっとりさせることには興味がない。

〔PHOTO〕gettyimages

「原稿」に凝るオバマ、「情報」に凝るヒラリー

2008年の民主党予備選でオバマは演説型、ヒラリーはディベート型といわれた。的を射た分類だと感じる。

オバマは情報量や知識で圧倒するのではなく、自分の生い立ちの「物語」を武器に「エトス」に満ちた説得力を重視する。作家であり詩人でもある文才を活かしてドラフトをまとめていた。オバマ本人がチーフ・スピーチライターだった。

オバマほど「原稿」に凝る人はいない。聞き手が酔いしれ、魂の高揚を感じる流麗なレトリックに凝る。ある意味ではオバマの演説は「原稿」が完成した段階で終了している。それは演説でこそ輝く才能だった。

ヒラリーは直前まで「情報」に凝る。政策の鬼であり、1枚でも多くのインデックスカードを正しく理解しようと貪欲だった。その姿はまるで大学の競技ディベートのディベーターであり、法廷弁護士のそれだ。オバマは同じ法律家でも憲法学者に軸足があり、法廷の闘士ではない。