日本史 キリスト教

明治日本初のクリスマス、サンタクロースは殿様姿で登場した

【連載】クリスマスと日本人(9)

明治政府は「宗教としてのキリスト教」は排除しようとした。日本の民衆もまた同様の気持ちをもっていた(前回参照 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49821)。しかし、その一方で、キリスト教の「文化」は大急ぎで取り込まなければいけなかった……。日本人とクリスマスのふしぎな関係を解き明かす連載第9回、いよいよ明治初のクリスマスへ!

キリスト教の「文化」だけ取り込め!

明治初期の日本の民衆にとって、キリスト教はあくまで邪教であった。

布教に来るキリスト信者を、ときに暴力的に追い払った。

キリスト教が広まると、生活共同体が破壊されるとおもったからだ。その恐怖から宣教者たちを激しく排除した。明治期の日本の共同体に、宗教としてのキリスト教は受け入れられなかった。

しかしいっぽうで日本社会は〝キリスト教の文化〟を急速に取り込まないといけなかった。

太平の世を過ごしていたら、アメリカが殴り込みをかけてきて、つづいて英仏露ら世界列強ランキング上位のキリスト教国もやってきて、一緒になって日本を〝最先端19世紀ワールド〟の舞台へひきずり出し、いきなりその序列に組み込んでしまった。

日本は、知らずに世界序列の最下位グループにランキングされ、列強国が上昇するための踏み台にされることに決まっていた。

これはまずいということで、拙い応対をしてる(と見えた)当時の政権を倒し、新政権が樹立された。新政権のとりあえずの目的は西洋列強の踏み台にされないことであり、その先の目標は、西洋列強と肩を並べることにあった。

まず世界ランキングの最下位グループを抜け出し、自主独立が認められているすぐ上のグループをめざした。

ただ、方法がわからない。非西洋エリアの国が、キリスト教国列強と肩を並べた歴史上の事例がない。

そこで「西洋国のシステムを徹底して真似て、取り入れる」ことにした。

国家の成り立ちから生活部分まで、政治経済、工業産業、軍隊、鉄道、法律、芸術、文学、建築、都市整備、学校、衣服に食事、暦法、休日とあらゆる部分で、西洋方式を採ることにした。

「西洋人が休むから」日曜は休み

しかし西洋の国になるわけではない。

外側は真似るが、芯の部分では日本なるものを守り続ける。そもそも新国家成立のときの号令は〝王政復古〟であり、その中心に据えられたのは千五百年を越えて存在する〝天皇家〟である。

原日本(日本が古来から持っていたもの)の懸命の模索と(模索して見つからない場合は造り出した)、異質な西洋文化の急激な受け入れを、同時に行った。かなりキツイ状況である。振れ幅が尋常ではない。ひとつの人格が無理してこういう状態にあると、だいたい精神に破綻をきたす。

たとえば休日。官公庁はいつ休むか。

明治当初は、日本の方式で一の日と六の日を休みにしていた。

しかしそれでは列強諸国と休みがずれて不都合である。世界に向かって、日本式に従え、と言える立場ではない。だから西洋列強の休みを取り入れた。

1876年より官公庁は日曜日を休み(土曜を半日休み)とした。

日本人が、日曜を休日にした理由は「西洋人が休むから」である。それ以外にない。

キリスト教国が日曜日を休むのは「イエス・キリストが復活した日」だからである。きちんとした信者はだから日曜には教会に行く。キリスト教徒にとっては、日曜は宗教的な休みである。

〔PHOTO〕iStock

西洋システムを外側だけ取り入れ、その内実には関知しない、というのは、そういうことである。

「キリスト教はいまもって我が政府の制禁するところである」と外務卿が表明(*前回参照 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49821)した翌年に、キリスト式の休日を取り入れている。それがキリスト教国と付き合っていく方式である。

キリスト教の宗教的内容は取り入れない。ただ西洋列強の文化はキリスト教を基盤として成り立っているところがあるから、キリスト教も学ばないといけない。宗教部分を抜いた〝文化としてのキリスト教〟をうまく取り入れるようにしよう……。

誰がいつ決めたわけではなく、どこにも明文化されず、言葉にせず、瞬時にそうすることに決められた。

言葉を交わさずにそういう国民的合意が成り立つところが、この国の強みであり、海外から見たときの不気味さにつながっている。