日本サッカーに「プロ意識」を根付かせたのはこの人だった!
「献身、誠実、尊重」というスピリット

日本サッカー協会創立記念日の9月10日、第13回日本サッカー協会殿堂掲額式典が行われました。

今年から設けられた団体部門では1936年ベルリン五輪代表チームが殿堂入り。個人部門ではジーコが選ばれました。

彼は日本サッカーのプロ化という大きなプロジェクトに多大な貢献をしてくれた存在です。考えてみれば、表彰されるのは当たり前かもしれません(笑)。日本サッカー協会がジーコへの敬意を形として表してくれたことは、僕としても嬉しいです。

ジーコはアマチュアでしかなかった日本サッカーにプロ意識を根付かせてくれました。

それまで日本はワールドカップの出場すらありませんでしたが、ジーコが植え付けたプロ意識が花を咲かせ、現在はワールドカップに連続出場できるくらいになったんです。この礎はジーコが築き上げたと言っても過言ではないと思います。

ジーコがJリーグの前身である日本サッカーリーグ(JSL)2部だった住友金属工業蹴球団に加入したのは91年のことです。彼はソフト面、ハード面ともにチームを変えるために奮闘してくれました。

対面パスからやり直し

まずはソフト面。彼が最初に手をつけたのは選手のサッカーに対する考え方、サッカーセオリーの落とし込み、そして基本技術の見直しです。僕ら住金の選手たちは対面のインサイドパスからやり直しをさせられました。

止める、蹴る、止める、蹴る――。この基本的な反復練習に毎回1時間から1時間半は費やしました。僕たちも小中高、JSLとサッカーを経験してきています。止める、蹴るはできていたつもりでした。

しかし、ジーコが僕たちのプレーを見た時に「小学生以下のサッカーをしている」と思ったらしいのです。
 
大人としてここまでサッカーをやってきて、“なぜ小学生以下と言われてしまうのかなぁ”とも思いました。

ですが、ジーコが練習の中で見せてくれるボールコントロールやキックの精度を間近で見たらもう、次元が違いましたね(笑)。

僕はDFだからジーコとマッチアップをすることもありました。“このタイミングならボールを奪える”と思っても、全然ボールを奪えず簡単にかわされてしまう。

ジーコは自分の意志で正確にボールをコントロールします。“基本技術が大事だ”と説いてくれたことで、自らのサッカースキルを見つめ直す機会を彼は与えてくれました。

コンディション面でもジーコは住金の選手たちにプロとしての在り方を示してくれました

「サッカーの試合で良いパフォーマンスを発揮するために良い食事をしよう、良い休息をとろう」

判断基準はすべて“サッカーをするうえでどちらが正しいのか”でした。

「今、夜遊びに出かけていいのか? それは試合前にすることじゃない。試合が終わったら仲間で少しお酒でも飲みながらサッカー談義でもしよう。今は、試合に向けてきちんとマッサージを受けてベッドで休もう」

すべてがサッカー中心の生活に変わりました。

Jリーグが誕生し、住金は鹿島アントラーズに変わりました。ジーコにプロ意識を植え付けられて基本技術を磨いた僕たちは、Jリーグ開幕前にカシマサッカースタジアムのこけら落としとなるフルミネンセ戦で見事に勝利を収めることができました。

この試合に勝ったことで、鹿島の戦い方が確立された瞬間のように感じています。きっとジーコは住金に加入した時から、選手と練習を積み重ねながら、僕らに目線を合わせて指導してくれていたんだと思います。

〔PHOTO〕gettyimages

フロントにもプロ意識を

ジーコはハード面の改革にも着手しました。まずは練習着です。JSL時代、チームとしての練習着なんて存在しませんでした(笑)。選手たちは勝手気ままに好きなものを着ていました。当然、メーカーもバラバラ。

この光景を見たジーコは「こんなことで、チームが1つになれるのか……」と思ったみたいです。ジーコは、選手には選手の、スタッフにはスタッフの練習着を用意させました。

クラブのサッカー環境についてもジーコは言及していました。

「このピッチは選手がサッカーをできる環境なのか? 練習後、選手に風邪をひかせないためにはシャワールームが必要だ。すぐに治療ができるメディカル面を整えないと。フィジカルトレーニングを行う施設もないとダメだ。選手が100%サッカーに集中するために、ホペイロや用具係も必要。選手がサッカーをする環境を整えるのがフロントだ。そうやってチームに貢献すべきなんだ」と、ずっと言ってくれました。

住金時代は本社の一角に小さな事務所があって、練習場は離れたところにありました。ジーコがサッカー環境を整えてくれたようなものです。

今でこそ当たり前のことかもしれません。しかし、サッカー環境が整備されていなかった当時、きっとフロントの方々はジーコに対して「これもやってしまったら、お金が掛かってしまう」と、良く思っていなかったかもしれません(笑)。

それでもジーコは「やらないとダメなんだ」と言い続けてくれた。その結果、鹿島は素晴らしいスタジアムと設備が整ったクラブハウスを所有することができたのです。

鹿島にはジーコスピリットと呼ばれる「献身、誠実、尊重」という言葉があります。ジーコはいつも手を抜かず、真摯に僕たちに“プロとは”ということを教えてくれた。今も鹿島のユニホームには、この言葉が印字されています。

僕はOBとして鹿島の後輩たちがジーコスピリットを受け継いでくれていることを、非常に嬉しく思います。

大野俊三(おおの・しゅんぞう)
<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。 1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍した のち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ (http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。
*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。