シリア問題 クルド人
シリア紛争のカギを握る「クルド人」とは、どのような民族なのか?
イギリスの三枚舌外交が招いた禍根

クルド問題の誕生

1916年にイギリスとフランスとロシアが結んだ秘密協定「サイクス・ピコ協定」は、中東の分割を画策したものだ。当時の中東とは、トルコ人のオスマン帝国のことだった。この協定により、オスマン帝国は英仏露のシナリオ通り分割され、レバノン、シリア、イラク、クウェートなどが、砂漠の中に定規で線を引いたように出来上がった。

協定の原案は、イギリス人マーク・サイクスと、フランス人フランソワ・ジョルジュ=ピコが作ったので、サイクス・ピコ協定と呼ばれる。協定が結ばれたのはロシアのペトログラード。英仏露三国の狙いは、もちろん、植民地と石油の利権を山分けにすることであった。

それだけでも大変勝手な話だが、なかでも一番ひどかったのがイギリスで、フランスとロシア相手にはサイクス・ピコ協定を結びつつ、その裏で、中東のアラブ諸国に対しては独立を約束し(フサイン=マクマホン協定)、さらにユダヤ人に対しては、パレスチナにユダヤ民族の国を建設しようと言った(バルフォア宣言)。

詐欺の極致、イギリスの三枚舌外交と言われる所以である。現在にまで尾をひくパレスチナ問題は、この時、イギリスが種を蒔いたものであることは疑う余地がない。

サイクス・ピコ協定が残したもう一つの災禍は、クルド問題だ。オスマン帝国の中には、クルド人の国、クルディスタンがあった。それが、オスマン帝国の解体と共に、トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアという新生5ヵ国に分断されてしまう。以来、クルド人に平和はない。

1919年に撮影されたクルディスタンの男たち〔PHOTO〕gettyimages

クルドは、国家を持たない民族としては世界最大だ。世界中に2500万人から3000万人いると言われており、イスラエルよりもシリアよりも格段に多い。彼らは、独立とまではいかなくても、できれば一つにまとまり、自治権ぐらいは確立したいと思い続けている。

クルドの土地は昔から水と緑に恵まれ肥沃だったが、おまけに近代になり、石油まで出ることが分かった。そんな良い場所に独立国など作られてはたまらないと、周辺国は当然、皆が思う。クルド人がどの国でも迫害、あるいは、あからさまな攻撃を受けているのは、そのせいだ。とくにクルド人が多いトルコとイラクでは、常に当局との戦闘やテロが絶えなかった。

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