角栄ブームに違和感を持つ人たちへ【後編】
「反田中」を貫いた、元総理の証言

角栄ブームに沸く日本。ノンフィクションライターの常井健一氏は、「スゴイ角栄」ばかりが近視眼的に語られる風潮に違和感を抱き、別の視座から眺めてみようと、反田中を貫き通した菅直人元総理のもとに足を運んだ。

【前編】では菅氏の眼から見た「負の側面」が明かされたが、後編では「角栄と小沢一郎」「角栄と原発」、そして菅氏と同じく「原発ゼロ」運動を行っている小泉純一郎氏についての複雑な思いを、引き続き「オフレコなし」で吐露する。

小沢政治と田中政治

――現代人が田中角栄に郷愁を寄せるのは、強いリーダーシップで現状を打破してほしいという願望があるからだと思います。自民党政権でも民主党政権でも総理の顔がコロコロ変わった。それに端を発した政治不信は東日本大震災の対応で一気に高まった気がします。

特に、菅政権の時、自民党との連立も一時は浮上しながら頓挫した。政治に「if」はありませんが、田中角栄のような「決断と実行」を声高に唱えるリーダーが当時の総理だったらどうだったのだろう、と考えてしまいます。

菅: あれは、やや特殊な事情がありました。自民党総裁だった谷垣(禎一)さんは人がいいから、私はとにかくサシで会って、連立について話したいと思っていろいろ工作した。特に、加藤紘一さんに仲介を頼んだ。それで、やっと会えるかなと思っているとどこからか横やりが入った。

結局、自民党の中には民主党政権を一日も早くつぶすことを優先した勢力がいたんです。自民党は「みんなで対応しましょう」と口では言うけど、谷垣さん自身もそう思っていたと思うけど、その後ろにいる人たちは民主党政権を倒すことを優先して行動した。

あとは、小沢(一郎)さん。小沢さんはとにかく自分のいうことを聞かない総理だったら、自分の党の代表であっても徹底的にやりこめる。私が総理の時には、野党が出す不信任案に賛成することもチラつかされた。自民党と小沢さん、この2つに挟まれてなかなか苦労しました。

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――小沢一郎さんは「角栄の秘蔵っ子」と呼ばれた人物。因縁を感じますね。菅さんは小沢さんと民由合併を仕掛け(03年)、民主党時代には代表選で二度も一騎打ちしました。小沢さんと田中角栄との共通するところはありますか。

菅: 小沢さんは独特だから、角さんとは全然違う政治家ですよ。ただ、彼は角さんの推移を一番見て考えた政治家。そして角さんを反面教師とした。

一番わかりやすいのは、自分が総理大臣にならない点。総理大臣になったら逆に政治生命が短くなると思っている。とうとう自治大臣に一回なっただけで、その後は閣僚にもなろうとしないでしょう。

例えば、海部(俊樹)さんの(政権)時も自民党幹事長として党のカネとポストを握って、総理は小沢さんのいうことを聞かなければならない構造にしたでしょう。あとは首を挿げ替えていく。小沢さんは政権を作るまでは一生懸命やるんだ。しかし、作った後は支えない。

だから、彼が総理にした細川(護熙)さん、羽田(孜)さん、鳩山(由紀夫)さんは、8カ月、2カ月、8カ月。3人合わせても1年半ですよ。どんどん首を変えていく。それは、角さんを見て学んでいる。

角さんは派閥を100人までにして、大平(正芳)さん、鈴木(善幸)さん、中曽根(康弘)さんと首相を変えていく。小沢政治というのは実質的権力を握る。小沢さんにとって大臣というのは全然魅力的ではない。

小沢さんとは民主党代表選で戦ったけど(10年)、あの時は民主党が与党だから、私が負けていたら小沢さんが総理になった。

でも、本当に総理になったと思うかい。私は彼が勝っても総理にならなかったと思うんだ。むしろ自分は民主党代表になって、総理には別の誰かを持ってこようとしたでしょう。彼はそのほうが長く自在に権力が持てると思っている。

原発と角栄

――菅さんは総理時代、国産原子炉の輸出推進を掲げました。いわば原発推進だった菅さんが退任後は脱原発を訴えるようになった。そうなった経緯を教えてください。

菅: 私が最初に所属していた社会民主連合という政党では、原発に対して結党時(78年)から「モラトリアム」という発想を掲げていました。池山重朗さん(元原水禁事務局長)という反原発運動をやっていた人がメンバーにいて、最初の政策集には「即、やめる」ということではないけど、安全性の確保できない現在の原発は一時停止させるということを書いた。

原発の危険性は当時から言われていたから、原発に頼らなくて済むならそうするべきだという考えた方が、もともと社会党にもあった。けれど、社会党にも容認派が増え、(社会党を離党した国会議員で作った)社民連もスタート時点では社会党に近い立場だった。

それが、民主党ができる頃には、私も含めて、チェルノブイリ事故はソ連という技術的に未熟な国の中で起きた問題であって、日本では起きないという「安全神話」にだんだん毒されてきて、半ば原発容認の立場になったことはその通り。しかし、3・11があって、私は180度考え方を変えました。