ノンフィクション
本年度、講談社ノンフィクション賞決定発表!『つかこうへい正伝 1968-1982』
受賞のことばと選評

受賞作品
つかこうへい正伝 1968-1982』(新潮社刊)
長谷川康夫

今回の受賞作は、ルポルタージュ、伝記、体験記などのノンフィクション作品で、単行本、新聞、雑誌などに、'15年4月1日より'16年3月末日までに発表されたものから選ばれました。選考委員は、後藤正治、高村薫、立花隆、中沢新一、野村進の5氏です。

候補作品は受賞作品の他、井戸まさえ『無戸籍の日本人』(集英社)、井上卓弥『満洲難民 三八度線に阻まれた命』(幻冬舎)、小熊英二『生きて帰ってきた男—ある日本兵の戦争と戦後』(岩波書店)、牧村康正・山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』(講談社)の4作でした。

受賞のことば 長谷川康夫

恥ずかしい話なのですが、出版されて8ヵ月を過ぎたというのに、いまだに拙著を繰り返し手に取り、まるで一読者のようにそれを読んでしまう自分がいます。

例えば脚本を担当した映画であれば、撮影、編集と付き合って、試写で完成を見届けてしまえば、劇場公開にはまず足を運ぶことがないし、その後DVDが発売されても、決して封を切ることなどないのに、これはいったい何なのか。

ここに来て、ようやく腑に落ちたのです。つまり、すっかり忘れていた自分の古い日記を見つけたなら、誰だって何度も読んでしまうだろうと。

そもそも本書は、かつての劇団の仲間たちに託され、書くはめになったものです。彼らと共につかこうへいと過ごした時間、そして関わった芝居の〝記憶〟を〝記録〟として残す作業を、たまたま僕が請け負ったに過ぎません。つかさんが亡くなり、皆があの日々をきちんと振り返らずに来てしまったことに気づいた頃です。

身の程知らずの安請け合いをすぐに後悔したものの、その作業は結果、僕にとってとても意味のあることでした。

僕は病床のつかさんと会っていないし、葬儀や偲ぶ会なども一切なかったので、その死をどこか実感できずにいたところがありました。とくに原稿に向かっていたほぼ4年間は、当時の記憶を呼び起こすのに懸命で、かつてのわくわくした時間が蘇り、つかさんが亡くなったことなどすっかり頭から消え、いつでもまた会えるような気さえしました。

それが完成した本を手に取り、そのページをめくるうちに、ようやく思い知るのです。そうか、つかさんはもういないんだ……と。

たぶん日記というのはそんなものなのでしょう。失くしてしまったことをずっと後になって確認する。だから何度も読んでしまう。

でも果たしてそれが、他人にとって読みものとしての価値があるのか。正直なところ、分不相応な賞をいただいたという思いはずっと消えません。

けれど僕も仲間たちも、どこかにしまい込んでいた日記帳を再び目にすることができたのは間違いなく、たぶん賞に値したのは、僕らとつかこうへいが過ごした時間だと、気恥ずかしくも自分たちに言い聞かせ、今回の受賞を皆で喜びたいと思います。

はせがわ やすお/'53年、北海道札幌市生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。劇団「つかこうへい事務所」に入団してからは、『いつも心に太陽を』『蒲田行進曲』など一連のつか作品に出演。劇団解散後は劇作家、演出家として活動。'92年からは映画脚本を手掛け、『亡国のイージス』で日本アカデミー賞優秀脚本賞受賞。近年の作品に『起終点駅 ターミナル』などがある。

選 評

細密的な記述と時代的熱気 〜後藤正治

受賞作『つかこうへい正伝』は、劇団活動にかかわった同伴者による評伝である。距離が近い分、つかという人物の才や癖や臭みが細密的に記述されている。各所に小劇団が生まれ、熱い劇場空間があった時代的な熱気も伝わってくる。

1970年代、つかの主宰する公演には人々が詰めかけた。時代の空気と噛み合うものがあったのだろうが、何が噛み合い、何を意味したのか。欲をいえば、一歩外側に立った位置からの論考がほしいとも思えた。

『生きて帰ってきた男』は、著者の父・小熊謙二のオーラルヒストリーである。シベリアに抑留され、幾多の転職を経てスポーツ用品店を営み、いま老年を迎えている。

市井に暮らす一庶民の一代記であるが、往時の生活状況や時代風景が添え書きされ、生きた近現代史ともなっている。男は、低き位置からアムネスティや戦後補償裁判にもかかわってきた。もの静かに、しかし背筋を伸ばして生きてきた日本人がいた——。余韻深き作品だった。

『満洲難民』は、主に満洲国経済部にいた官吏と家族たちが、敗戦時に遭遇した受難を描いている。難民となった人々は北朝鮮の町に逃亡するが、飢えと病で多くの子供たちが亡くなっていく。知られざる史実を掘り起こした労作であり、いまや高齢となった戦中世代の直接証言としても貴重と思えた。

『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』は、山師的プロデューサーの評伝である。アニメ界の変遷のくだりは興味深く読めたが、共著者が証言者として登場し、文章上の表現においても気になる箇所があった。

『無戸籍の日本人』は、古色蒼然たる民法の下、戸籍のない人々が生まれ、苦難の人生を歩んでいる様を伝えている。視えにくい社会的問題を発掘し、事態の改善をはかってきたパワフルな活動には敬服しつつ、ノンフィクション作品というよりは社会運動家の報告という色彩が濃いように感じられた。

対象との距離から 〜髙村 薫

本年は、作家を生業としない書き手の著作が4作を占めたことで、よい対象との出会いがあれば作家でなくともアプローチ出来るのがノンフィクションの世界だと、図らずも証明される結果となった。そしてこの結果は、対象との適切な関係性や距離こそがノンフィクションの成否を決めることを、あらためて証明したとも言える。端的に、対象との間に距離が有りすぎてもだめ、無さすぎてもだめ、ということである。

小熊英二氏の『生きて帰ってきた男』は、シベリア抑留経験をもつ実父への聞き取りをもとにした一庶民の昭和史であるが、父の人生に耳を傾ける息子という、対象と書き手の重要な関係性をなぜか消してしまったことで、薄味の教科書的内容に留まった。

井戸まさえ氏の『無戸籍の日本人』は逆に、政治家として無戸籍者の支援に取り組んできた氏の立ち位置ははっきりしているが、対象との距離が近すぎるため、問題の現状と課題、自身の活動を広く社会に知らしめんとした政治家の活動報告書に終始した。

井上卓弥氏の『満洲難民』は、引き揚げ者を親戚にもつ当事者性もあり、対象との距離も遠すぎず近すぎず、個々の悲劇に留まらない引き揚げ問題の全体像への目配りもあるが、いかにも新聞記者的なまとまりのせいで、いくらか平板な読後感になった。

牧村康正氏・山田哲久氏共著の『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』は、取材不足と対象の切り取り方の問題で、肝心の対象者に十分迫ることが出来ておらず、絵に描いたようなエキセントリックな風雲児の戯画と業界の内幕話で終わっている。

長谷川康夫氏の『つかこうへい正伝』は、対象の身近にいた者でしか書けない、奇跡の伝記と言ってよい。青春時代をともに過ごしながらも無条件の心酔者ではなく、人間観察のための距離を取ることもできた、こういう著者がいて初めて明らかになった劇作家つかこうへいの人物像は、変革の夢が過ぎ去ったあとの、空疎でキッチュな'70年代の空気をよく映していて、なかなか衝撃的である。