地震・原発・災害

政府によって徹底的に隠蔽された「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の真相

1100の証言がいま伝えてくれること

政府による徹底的な隠蔽

「顔を血で真赤に染めて後手に縛られた一人の男が、林檎箱の上に引き据えるように腰かけさせられていた。大勢で取り囲んでいたにきまっているが、その人々の印象はぼやけてしまっている。縛られていた男の、一点を見据えていた眼が忘れられない。

〔略〕その男が朝鮮人であることは、少年の私にも自然に分かっていた。爆裂弾を投げつけたとか井戸に毒を入れて回っているとかいう“不逞鮮人”の噂は、もう9月2日には私も聞かされていたのではないかと思う」(木下順二『本郷』講談社、1983年)

1923年9月1日に発生した関東大震災時、現在の文京区大塚で被災した劇作家・木下順二が目撃した光景である。

東京だけでも6万人以上の死者を出したといわれるこの震災に乗じるように、「朝鮮人が火つけをしている」「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などの流言蜚語が流れた。

この噂を真に受けて警戒した住民たちは自警団を結成、これに軍隊も加わり、多くの朝鮮人や中国人が虐殺された。その数は数千人とも言われているが、実際に何人の方が犠牲になったのか、じつは震災から93年がたった現在でも詳細はわかっていない。

その要因のひとつとして、当時の政府の徹底した事実の隠蔽があげられる。

 

次の2つの証言を見比べてもらいたい。当時尋常小学校5年生の生徒が、震災直後に書いた作文である。

「3日に伯母さんから「朝鮮人が火をつけて歩く」というお話をきいて僕は驚いた。するとその夜「わあっ」というさわぎがあちこちから起こり、同時に「ぢゃんぢゃん」と半鐘が鳴り出した。間もなく「ずどん」とピストルの音がした」

「3日に伯母さんから「しっ火がある」というお話をきいて僕は驚いた。するとその夜「わあっ」というさわぎがあちこちから起こり、同時に「ぢゃんぢゃん」と半鐘が鳴り出した。間もなく「どしん」となにか崩るる音がした」

上が元の作文、下が検閲後に発行された作文集『子供の震災記』(目黒書店、1924年)に所収された作文である。「「朝鮮人が火をつけて歩く」というお話」が「「しっ火がある」というお話」に、「「ずどん」とピストルの音」が「「どしん」となにか崩るる音」にあらためられているのがわかるだろう。

これは、私が証言を集める中で偶然、検閲前の『子供の震災記』を発見したことにより明らかになった改竄である。本書ではこのような改竄が全編にわたって徹底的に行われている。

一般に出回っている検閲印の押されたものだけを読んでも、朝鮮人虐殺についてはなに一つわからないようになっているのだ。