国際・外交
スパイ稼業に一度足を踏み込んだら、生涯つきまとわれる「ある影」
いつか報復されるのではないか…

有能なスパイほど疑惑の的

ロシア人は身内には優しいが、敵に対しては陰険な謀略を仕掛ける。

ロシア(ソ連)を担当する外交官やインテリジェンス(諜報)機関の職員も、仕事の対象の影響を知らず知らずに受けて陰険になる。もっとも外交と比べると秘密裏に相手が隠している情報を入手するインテリジェンス活動の方がはるかに陰険だ。

ちなみにインテリジェンス活動のうち、非合法な性格を帯びているものをスパイ活動と呼ぶ。

機微に触れる情報を入手するためには、こちらからも相手の欲しがる情報を何か流さなくてはならない。こちらが流す秘密情報と相手から得る秘密情報を秤にかけて、相手から得る情報の方が重ければ、スパイ活動としては合格だ。

それだから有能なスパイは、常に「相手の側の懐に入っている二重スパイではないか」という疑惑を味方から抱かれる。

筆者は、かつて(ソ連時代を含む)ロシアを担当する外交官で、しかも日本外務省のインテリジェンス部局でも仕事をしていたことがあるので、ル・カレが『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』で描いている世界が他人事とは思えない。

英国秘密情報部(SIS、いわゆるMI6)にソ連と長期間協力している「もぐら」(スパイ)が潜入しているという疑惑を、情報部のチーフであるコントロールは抱いている。

コントロールは被疑者を5人に絞り込み、童謡に登場するニックネームをつけた。ティンカー(鋳掛け屋)がアレリン、テイラー(仕立て屋)がヘイドン、ソルジャー(兵隊)がブランド、プアマン(貧者)がエスタヘイス、ベガーマン(乞食)がスマイリーだ。

コントロールのところにチェコの協力者から、チェコ情報部のステヴチェク将軍が亡命を希望していて、「もぐら」の名を伝える用意があるという情報が入ってくる。そこでチェコ語に堪能な工作員ジム・プリドーが派遣される。

しかし、これはKGB(ソ連国家保安委員会)による罠で、チェコのブルノ郊外でプリドーは撃たれ、拘束される。情報部は、チェコと交渉しプリドーを帰国させることに成功するが、プリドーは切り捨てられる。エスタヘイスからプリドーはこう言い渡された。

〈「おれは命令されたよ。だれにも近づくな、話をきいてもらおうと思うなと。すべて最高レベルで処理中だから、いまおれがなにかしては元も子もないと。サーカスは元どおりになった。《ティンカー、テイラー》その他あれこれ――もぐらも、なにもかも忘れろ。『きみは消えろ』といわれた。『きみは幸運な男だ、ジム』何度もそういわれた。『きみは忘却者になれ』と命じられた。忘れろというんだ。わかるか。忘れろだ。何事もなかったようにふるまえ」

もう大声でわめいていた。「それだったんだ、おれがしてきたことは。命令に従うことと、忘れることだ!」〉

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