政治政策 経済・財政
築地移転と都政の「闇」〜1200万人をダマし続けた犯人は誰か
こんなに汚染されていたなんて…

4万3000倍のベンゼンという汚染された土

「なぜ、いつ、誰が専門家会議の提言から逸脱し、盛り土を行わないことを決めたのか。小池(百合子)都知事に、事実解明と公表を求める」

豊洲新市場の主要施設の下で、専門家会議が提言していた盛り土が行われず、コンクリートで覆われた空洞になっていたことを暴露した共産党都議団の尾崎あや子議員は、都庁の会見でこう訴えた。

犯人探しはこれから始まる。

「築地移転」とは、土壌から有害物質のベンゼンが、環境基準の4万3000倍も検出された汚染地の豊洲に、世界ブランドになった魚河岸の「築地」を移転させる話である。

東京都は、誰もが抱く不安を払拭する目的で、土壌改良の専門家集団に諮り、「元の地表から2メートル下までの土地を入れ替え、さらにきれいな土地を2・5メートル分盛ること」という提言を受け、工事を始めたハズだった。現に、今も東京都のホームページでは、盛り土の上の“安全”な施設をアピールしている。

「なぜ、いつ、誰が」を知りたくなるのは、都民に共通の思いである。

しかし、結論から言えば、特定の個人を弾劾はできない。もし、小池都知事が責任者を公表したところで、それは「尻尾切り」に過ぎず、本来、問題にすべきは「ごまかしと隠蔽に走る東京都というシステム」である。

まず、あげるべきは「政」の責任である。

99年4月、東京都知事に初当選した石原慎太郎氏が、最初に手掛けたビッグプロジェクトが築地移転だった。当選直後に築地を視察した石原氏は、「狭い、古い、危ない」と感想を漏らした。

現場での建て替えか湾岸部への移転かを検討していた築地市場再整備協議会は、同年11月、移転の方針を固めるが、その時、既に、意中の移転地は豊洲だった。東京ガスのガス製造工場跡地で、汚染は想定されたが、石原氏の側近の浜渦武生副知事(肩書は当時、以下同)が中心となって東京ガスとの合意に漕ぎ着け、01年12月、豊洲への移転が正式に決定する。

一度、移転が決まれば、ゼネコンなど業界の再開発事業への願望を生み、そこに業界各社の陳情を受ける政治家の思惑が重なって、各種プロジェクトが動き出す。

この後、16年東京五輪誘致(正式表明は05年9月)の動きが始まったこともあって、築地には高層の2棟が建設され五輪メディアセンターとなり五輪後は渋谷のNHKが移転して「放送の街づくり」が行われることになっていた。NHK跡地は、代々木体育館や岸記念体育館などを含む代々木再開発に重なっていた。事業計画の“玉突き”である。

五輪メディアセンターは16年五輪招致の失敗で潰えたが、公共工事に「後戻り」という選択肢はない。移転反対運動を和らげ、説得するために、07年4月、土壌汚染対策のための専門家会議が設置される。

環境水理学の専門家である平田健正・和歌山大システム工学部教授が座長となって、09年7月まで会議を繰り返し、その間には、4万3000倍のベンゼンという度肝を抜く調査結果も判明し、出した結論が汚染土の総撤去と盛り土だった。

専門家会議は、最終報告書を出して活動を終え、都は、08年8月、環境や土木の専門家6名で構成した技術会議を発足させた。都の役人が、この会議に工法変更を諮らず、ごまかす形で進めていたのが主要施設の下を空洞とする設計だった。

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